限りなく不透明に近い東アジア

そして生まれる戦略的ジレンマ。


韓国外交部「日本の防衛・安保政策は平和憲法の基本理念の下で…」 | Joongang Ilbo | 中央日報
ということで日本の空母改装で色々と盛り上がっている東アジアの安全保障環境であります。
まぁ昔から国際関係や地政学で言われる「戦略的ジレンマ」まんまですよね。防衛のための戦力増強が近隣諸国からは脅威と映り、結果として不信感連鎖が地域全体を軍拡競争など不安定な状況へ導いていく。
所謂リアリズムの中心的教義である『勢力均衡の論理』がもたらす必然的帰結。
――であればこそ、リベラルな私たちはその論理を越えるための平和的国際関係構築を目指してきた。そしてそれは単なる夢物語ではなく、世界の限られた極一部ながら=ヨーロッパでは概ね実現できていたといっていい。歴史は終わるんや!
21世紀の平和主義 - maukitiの日記
「20世紀の平和主義」の終わり - maukitiの日記
まぁ現在のトレンドは『歴史の終わりの終わり』が見えつつあるんですけど。もしかしたらこれからワンチャン一発逆転ホームランがあるかもしれないけれど、マトモな専門家や研究者たちからすればそうした見方をする人の方が少数派だよね。
しかしながら、それでも、以前の日記でも書いてきたように上記成功例であるヨーロッパにおいて「透明性」が果たした役割それ自体は否定できない。(アメリカの圧倒的パワーを背景にした上で)ヨーロッパ同士で、そして最盛期にはロシア(ソ連)とさえ、相互に透明性を確保した軍備管理の実現によって彼らは勢力均衡によらない平和的国際関係を実現した。私たち日本にも信奉者は少なくない平和構築モデルとして。


透明性って結局は相互に確保できていなければ意味がないんですよね。ついでにいうとそれを背後から支えるパワーも。
片方がそれに反するような行為を続ければ、結局はもう一方の不安は増幅されてしまうのだから。お互いに「相手こそが不信感が増大させるような行為をしている」と非難し合っているように、まさにその連鎖が起きつつあるのが今のヨーロッパでもあるわけで。更には根底を支えてきたアメリカのパワーの提供も。
二重の意味で終わりつつある。ヨーロッパの平和。



客観的な透明性(=相手の意図の把握)が失われると、不信感の連鎖を生み、そしてその不信感に対する備えが更なる不信感を呼ぶ。
国際関係におけるリアリズムの最初の要旨という感じ。

韓国外交部が18日、日本政府が閣議決定した2019年度の防衛大綱について「日本の防衛・安保政策は平和憲法の基本理念の下、域内の平和と安定に寄与する方向で透明に進められなければいけない」と明らかにした。

外交部の魯圭悳(ノ・ギュドク)報道官はこの日午後の定例記者会見で、日本の防衛大綱が事実上「専守防衛」の原則に反するのではという指摘が出ていることに対する立場を問う質問にこのように答えた。

韓国外交部「日本の防衛・安保政策は平和憲法の基本理念の下で…」 | Joongang Ilbo | 中央日報

だから上記韓国外交部の話はとってもまっとうな正論でもあるんですよ。
本邦に限らず各国ネトウヨ的人たちはもちろんそんな透明性担保の要請に「内政干渉だ!」と反発するでしょうけども、しかし地域平和=信頼感醸成の為には欠かせないんですよ。
そして同時にこの言説の有用性を認めるということは、当然日本側から見ても、透明性があると認めることができる状況でなければ成立しない。
その意味で『専守防衛』の定義こわれりゅーな私たち日本ではありますが、少なくとも透明性だけは民主主義国家らしく概ね確保できているので今回の件はまぁギリギリセーフではないでしょうか。実際、空母を持つことにどこまで軍事的妥当性があるかはともかくとして、抑止力の一環としてはそれこそ中国が自分たちのカジノ空母化をそのように正当化しているように100%まったく擁護できないというわけではないし。そもそも定義を言い出したら自衛隊の存在自体がアレになってしまうので、一周回って私たち現代日本という国家の伝統芸という趣すらありますけど。


問題は、そうした「透明に進められなければいけない」が、域内においては日韓のほかにはまったく実現できていないという東アジアの現実の方でしょう。
中国に北朝鮮に、更には……、
自衛隊機が韓国軍からレーダー照射 防衛相が抗議 | NHKニュース
>韓国側「追跡目的ではない、説明を予定」 レーダー照射:朝日新聞デジタル
挙句に信頼できると思っていた韓国までご覧の有様であります。
まぁもちろん韓国側の言い分として「過剰反応」という言い方にも一応の論理はある。しかしその理屈を持ち出してしまったら上記ヨーロッパのロシアによるクリミア併合への経済制裁も「過剰反応」だし、ヨーロッパによるEUの東方拡大に対するロシアの反発も「過剰反応」と言うことはできる。まさにそうやって相手側の反応の意味を無視することが透明性が失われていくことに他ならないのにね。
「過剰反応」って無敵のコトバだよね。僕たちも空母改装問題に際しては、中国や韓国や北朝鮮に過剰反応だと使っていけばいいのでは?
でもそうした相手の反応を考慮しない態度こそ地獄が待っているというのにね。


ますます不透明になっていく東アジアについて。不透明だからこそ万が一に備える行為に走る私たち。そりゃ中国も北朝鮮も韓国も日本も「軍拡」をやめられない。でも唯一安心できるのは、それが何も世界全体の情勢に殊更に逆行しているわけではない、という点でしょう。21世紀の新たなトレンドとして。
よかった、軍備拡張を目指しているのは日本だけじゃないんだ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?