「AnywheresとSomewheres」という現代民主主義政治の最前線テーマ

「地方民たちよ立て! 不満を怒りに変えて、立てよ! 地方民よ!」



「老人を都会に集めれば良い」「限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」とかいうけど人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違い - Togetter
うーん、まぁ、そうねえ。

「老人を都会に集めれば良い」
限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」
「人手不足なら外国人を受け入れれば…」
といった話に共通して感じるのが、
「人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違いだよ(-_-;)」
って事です。
人間には意志や感情という「物」には無い面倒なもんがあるんで

「老人を都会に集めれば良い」「限界集落は廃村にしてコンパクトシティ構想で…」とかいうけど人間を簡単に移動交換出来ると思ったら大間違い - Togetter

これ私たち日本では少子高齢化や地方衰退(東京一極)なあるあるネタに回収されがちではありますけども、実は先進世界共通の現代政治・民主主義政治の最前線のテーマの一つでもあるんですよね。


Amazon.co.jp: The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics (English Edition) 電子書籍: David Goodhart: Kindleストア
それを上手く指摘していたのが、2017年に現代政治潮流について論考したデビッド・グッドハートさんの『The Road to Somewhere(どこかへつながる道)』という著書でありました。

しかし離脱を決定した昨年の国民投票以前にも、社会科学者たちは左や右といった旧来の区別を超えた新しい政治的志向を提案していた。

その一方は、経済発展と社会的自由の強化という「2重のリベラリズム」を広く支持する高学歴の都市居住者。もう一方は、自由化の恩恵をあまり共有しておらず、その影響によって不安定な状況に置かれている人たちである。グッドハート氏は、この2つのグループを「Anywheres」と「Somewheres」と呼んでいる。英国の国民投票によって、後者による前者の拒絶が示された。

コラム:離脱後の英国二分する「不完全な羅針盤」 - ロイター
  • 「people from somewhere」(自分は特定の地域・文化に属している一員、と考える人たち)
  • 「people from anywhere」(自分は特定の地域に縛られない自由な(グローバルな)都市市民である、と考える人たち)

現代民主主義社会における私たち社会の内部にはもちろん大小様々な分断がありますけども、トランプ旋風やブリグジットの勝利によって、これ以上ないほど解りやすく示されたのが、上記反グローバル運動としての『分断』ですよね。
グローバル化によって恩恵を受ける人たちと、そうではない人たち。恩恵の有無だけではなく、そこに価値観の断絶が生まれ政治運動へと発展するようになると……。
党派性が私たちの生きる道? - maukitiの日記
そうしたアイデンティティー意識を基にしているからこそ強固な結束・政治的連帯を生み、やがてその強固さは劇的な政治変化を生み出すことになる。





(まるで疑問の余地のない自明の論理のように)「しごとがないなら、よそへいけばいいじゃない」
――かくして少なくない人びとが「ならば〇〇ファーストだ!」と政治のローカル化を怒りさけぶことになる。





ちなみに日本でもこうした政治手法の潮流は生まれつつあって、大坂維新もそういう傾向だし、いやまあ東京ファーストとかで見事に大爆死した人も居たりするんですけど、
玉城デニー氏「オール沖縄はアイデンティティー」 - 沖縄:朝日新聞デジタル
中でもかなり上手くやっているのが「オール沖縄」な玉城デニーさんでしょう。選挙では連戦連勝であります。
そこで「米軍基地が嫌なら引っ越せばいいじゃない」といって説得できるわけがないよね。だって彼ら彼女らはその土地にこそ価値を見出しているんだから。
沖縄という土地にアイデンティティを見出す人たち。


「自分たち沖縄」と「不特定多数の自分たち以外の本土」との分断をうまく政治的利用している。イデオロギーであれば中道として妥協できるそれは、しかしアイデンティティではそれは不可能でしょう。

でも、(翁長雄志知事を支持してきた)オール沖縄は、イデオロギーではなくアイデンティティーだ。ウチナーンチュ(沖縄の人)が歴史や文化や自然、自分たちの暮らしを見つめた時に、一つになれるものを求めて政治を展開していこうと言ったのが翁長知事だった。そのイデオロギーよりアイデンティティーという言葉を大事にできれば、課題は全部解消できると思う。

玉城デニー氏「オール沖縄はアイデンティティー」 - 沖縄:朝日新聞デジタル

somewheresな沖縄を代表しまとめようとする玉城デニーさん。そこでは我々と他者という壁を生み出そうとしている。しかしそうした壁・差異の強調こそ政治的支持として強力でもある。
そもそもそうしたグローバル化による自由に対して、ローカルからの反発して生まれたのが『somewheres』だったんだから。
沖縄の部分をアメリカにしたらトランプさんそのままだよね。



ちなみに面白いのは、こうしたオール沖縄な政治運動には日本ではリベラルな人たちの支持が大きいわけですけども、そもそも上記「people from somewhere」なグッドハートや、あるいは先日の日記で言及した「停滞とカオス」を言ったサンスティーンなどの政治論考の大前提にあるのは、トランプ政権の誕生やブリグジットの投票結果があるわけで。
だからオール沖縄って、ローカルな価値観を前面にトランプ旋風やブリグジットと同じ政治トレンドにあるのだと個人的には思ってます。
自分のアイデンティティをより広く持ち世界市民をイマジンするリベラルに、対抗して生まれたローカルファーストな政治トレンド。そしてその文脈からリベラルな都市住民・メディアからは、反グローバルと結びつくローカルなアイデンティティを優先させる政治手法への懸念と批判が巻き起こっている。

それを本邦では逆転して一般にはリベラルとする人たちが応援しているというのはちょっと愉快な構図だよね。その逆のポジションにはグローバル化と国際主義リベラルを行く安倍さん。いやまあこの辺は国際貢献を巡る構図でも捻じれているあるあるなお話ではありますけど。



古くからあるローカルなアイデンティティ固執する人たちと、グローバルな現代世界ではもうそんなものに価値はないと鼻で笑う都市住民たち。
リベラルや保守という違いではとどまらない現代社会の分断。
やっぱりこのテーマは現代民主主義政治の最前線のテーマだよねえ。


現代政治を分断する「Anywheres」と「Somewheres」について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?