「勝利の為には都合の悪い情報は無視しよう!」という旧日本軍的振る舞い

戦前戦中時代の日本社会への身を張った風刺なのかな?




れいわあけおめ!
「辻元清美氏(立民党副代表)を叩くのは権力への加担。一緒に与党を叩いてもダメ」と香山リカ氏(創より) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
ということで新元号早々にアレな人のネタをやるのもどうかと思うんですが、でもまあ通常運転だからしかたないよね。
頭のおかしげな発言でもよく考えてみれば少しは得るもの(日記ネタ)があるかもしれない。迂闊に深淵を覗いているとか言わない。

この後は原文を抜粋しよう。


具体的にいえば、若いころからメディアで注目され社会的な活動から政界入りした辻元清美氏は「噂の真相」でも繰り返し取り上げられてきたが、いまもし同誌があって辻元氏を話題にしたらどうなるだろう。
圧倒的少数派となっている野党の中で気を吐く辻元氏を叩くことは、権力に加担することにほかならないのである。
 「別のページでは与党政治家も取り上げてますので」といった両論併記のエクスキューズは成り立たない。社会の側に圧倒的アンバランスの構造があるからだ。

「辻元清美氏(立民党副代表)を叩くのは権力への加担。一緒に与党を叩いてもダメ」と香山リカ氏(創より) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

うーん、まぁ、そうねえ。単に身内の『権力争い』という文脈で見るならば、言っていることは適切というか合理的だと思うんですよね。
自分の政治的ポジションに都合のいい話はより大きく、都合の悪い話はより小さく。
舌戦において針小棒大にやるのは基本であります。


あくまで「公」とは関係のない私的な身内でやるならばまったく問題ないでしょう。
まぁこの場合まさにその「公」のど真ん中にそれを要求し、国会議員など日本政治中枢でやろうとしているんですけど。


そうした反権力ポジションへの恣意的な印象操作が、日本社会の為になると彼女は本気で信じているんでしょうけど、gryphon先生が指摘しているように僕もそうは思わないかなあ。
しかし彼女はそうではない。政権打倒の為にはこうした振る舞いが許容されて然るべき、と考えているのでしょう。そうした思想信条というだけならば別によかったのに。
こうした彼女の独善さは――まさに彼らカルト的反政権な人たちがアベ独裁政権をそのように表現するように――「日本社会を私的におもちゃにしている」ことそのものだと思うんですよね。
逆説的にこうして堂々と発言してしまっている辺り、彼女が属しているだろう身内のサークル内ではそうした主流派にとっての「都合の悪いニュース」がどう扱われているのか想像に難くない。
せめてその身内の常識として内にとどめておけばよかったのに。何でよりによってそのトンデモを外に出しちゃったんだ。
語るに落ちてる感。
悪しき独裁者が率いるアベ政権という深淵を覗き過ぎたせいで、彼らそのものになっちゃったのかな?




ここでひたすら愉快な構図なのは、彼女のように反戦リベラルを自称する人が戦前戦中の帝国日本・軍とそっくりな振る舞いをしている所だと思うんですよね。
「(アメリカに国力で決定的に劣っているなんて)都合の悪い話は無視すべきだ!」
かくして日本は現実を見ないまま内輪の論理を優先させた結果として『戦争』へ邁進し、そして劇的に敗北した。
もちろんこれは単純化された政治神話ではありますが、しかし概ね間違ってない歴史でしょう。
――きっとあの頃も、小国である日本が大国であるアメリカにアンバランスに立ち向かっているのに、空気を読まずに都合の悪い言説(現実)を口にする輩は米国への加担でありタイホしろって言われてたんじゃないかな。
だからこそ戦後という時代を生きた私たち日本人たちにとってはこうした失態こそ、過ちを繰り返すべきではないと教えられてきたはずなのにね。その妄信的振る舞いへの反省こそ、戦後日本の平和主義と自由主義への根幹とすら言っていいかもしれない。
あるいは大震災以来勢いづいた反原発派が言う『原発安全神話』への批判だってそういう構造から生まれたはずなのにね。


それなのに「大義実現の為に、都合の悪い話を公にするべきではない」と堂々と言う香山リカさん。
やっぱ身体を張ったギャグにしか見えないよねえ。
平成の終わりに、昭和初めの頃の振る舞いをしてみせるなんてとっても時事ネタだよね。






ともあれ、最初のネタににもどって「権力への加担か否か」は個人的なポジションとしてはダニエル・パトリック・モイニハン先生が言うように、
「人はどんな意見を持ってもいい。しかし事実に根差さない事を言う資格はない」
という辺りかなあ。事実に基づいているのであれば、誰を叩いたっていいと思うよ。基づかないことを言うのは今風にフェイクニュースっていうんですけど。
しかしそうしたフェイクニュースを規制しようとすると、規制をする権力側にとって都合の悪いニュースも容易に消えてしまいかねない。そのバランスは一体どうやればいいのか。フェイクニュースこわい。


令和という時代も、「誰かにとって都合の悪い現実」を堂々と口にできる日本でありますように。
(反権力を称しながらかのように振る舞う香山リカさんを見ながら)……うーん、だめそう。