「リベラルなイスラム教」という見果てぬ夢(10年ぶり2回目)

「〇〇もそうさ! 必ず存在する!」の黒髭ネタ好きなんですけど、つい最近雑に使っちゃったからここで使えず悲しみを背負ってます。




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そういえばイランでの抗議が27日目だそうで。

イランで前例のない反政府デモが続いている。

9月に髪の毛を覆うよう女性に義務づけた法律に違反したとしてマサ・アミニさん(22)が道徳警察に逮捕され、その後に死亡した事件がきっかけだ。

ソーシャルメディアでは、女性を中心とした若者たちが抗議活動に参加している様子を撮影した動画が拡散している。

こうした抗議者たちはたいてい、警察から暴力を受けている。死者の報告も出ている。

イラン政府は、抗議参加者らは危険な存在だとして、アメリカとイスラエルが騒乱を起こしていると非難している。

【検証】 イランで続く反政府抗議、これまでと何が違うのか - BBCニュース

チュニジアの露天商で始まった構図とほとんどそのままで笑えないよねえ。
なぜ独裁者は何故同じあやまちを繰り返してしまうのか――と考えると、そもそも民主主義国と違って独裁国家では『個人の権利』が守られていないからだ、という鶏と卵な話になってしまうんですけども。そこでは説明責任もなく、個人の権利など一顧だに値しない。
かくして一般には、経済成長と共に豊かになり個人にとっての「失う物」が大きくなればなるほど、その財産を守ろうと中間層な人びとが権利を求めて立ち上がり民主主義政治へと到達するのだ、というシンデレラストーリーが語られたりするわけで。まぁ最近ではすっかり夢物語扱いなんですけど……。


悲しいことに、個人の権利が尊重されない、という前提の社会に生きている人たち。
政治体制の効率性、あるいは経済成長のイノベーションなどのメリットなどの視点から語られることが多いリベラルな民主主義制度ではありますけども、そもそも民主主義が重要だと私たちが考えるのはそこに理由があるからでしょう。
そこでは基本的には個人の権利を認め尊重しているから。故に民主主義には価値がある。
まぁ本邦にも「アベ独裁!」と批判する愉快な人たちが一杯おりましたけども、皮肉にもこうしたイランや中国やロシアの実例と比較してそれを公に言えるそのこと自体が「日本で個人の権利が概ね尊重されている」ことの証左となり逆証明となっていたのはやっぱり愉快なお話で愉快な人たちではありましたよね。もちろん完璧とはほど遠い本邦でも、少し見渡せば個人の権利が尊重されていない事例は割とあるはずなのに、よりによって割と自由なソコかっていうね。




ともあれ、ここでイランに話を戻すと、(自称)現代リベラルな私たちが失望と期待を繰り返してきた定番のネタに行きついてしまうんですよね。CNNなんかと並んで、非欧米社会から所謂欧米リベラルの牙城でもある上記BBCの記事にも、直接言及は控えていながらもちょっとその想いが透けて見えて面白いんですけども。
つまり、今度こそ、リベラルなイスラム教が生まれるのだろうか、という見果てぬ夢に。
アラブの春』で身も蓋も無い現実を知ってしまった人は、まぁ表向きその発言を口に出すことを憚るようになってしまいましたけども、今回のイランの反政府抗議もまぁそういう文脈で見ているわけでしょう。
――ワンチャンこっから穏健イスラム政党が政権を握り、イランにリベラルな民主主義政府の確立あるで!!1 なんて。
ここで面白いというか、ひたすら皮肉なのは、『アラブの春』で私たちが目にした現実というのはあちらで選挙を通じてそれを実現しようとすると、まぁなんやかんや紆余曲折あって結局非民主的なイスラム主義政党が勝ってしまう、という身も蓋もない事実であるんですよね。
挙句には割と成功していたはずのトルコや、あるいはテロで大揺れなインドネシアでも過激化は進みつつあるわけで*1。やっぱワンチャンなさそう。何回やってもアトラクタフィールドな壁にぶち当たってしまう。


そしてリベラルな民主主義政治を信奉する私たちはいつもの疑問に立ち戻ることになる。
なんでリベラルなイスラムは、すぐに死んでしまうのん? なんて。


ハンチントンが言っていたように、そもそもリベラルな民主主義はキリスト教社会を前提にした「普遍性のない」文化だからなのか、あるいは今回の騒動についてイラン政府が言っているように「アメリカとイスラエルが騒乱を起こしている」なのか、もしくはイスラムという宗教が根本的にリベラルな価値観と共生できないからなのか、そもそも現地の住民たちが大多数が政治と宗教が一体化したイスラム主義を求めているからなのか。
偉い学者サマたちの間でも確固たる見解が無い以上、まぁ素人な私たちにはちょっとよく解らないよね。
ただ、それだけならまぁ放置しておけばいいものの、そこから更に多文化共生社会という文脈から、今は無理でもいつかは理解してくれると楽観するのか、あるいは不可能だからお互いに別れて暮らすべきだと悲観すべきなのか、というような問題とも地続きなお話でもあって市民社会の一員としては完全に無視することも出来ない厄介な問題なんですよねえ。


リベラルなイスラム教の可能性について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?