言いたいことも言えないこんな森の中じゃ、

ぽいずんだなも!


『あつまれ どうぶつの森』が「中国のショップ」から一斉に姿を消す | AUTOMATON
任天堂「どうぶつの森」、中国で購入できず 民主活動家が抗議に利用 - ロイター
そういえば『どうぶつの森』最新作が中国で発売中止になっているそうで。

もっとも指摘されているが、デザインの自由度が高すぎたゆえに、危険視されたという説。本作においては服装から床までに、細やかにデザインをすることが可能。一方で、そのデザインを利用して、香港デモをゲーム内で試みるプレイヤーの動きが注目されていた。弊誌でも伝えたほか、Bloombergのような大きなメディアも、その活動内容を報道している。

『あつまれ どうぶつの森』が「中国のショップ」から一斉に姿を消す | AUTOMATON

一昔前にはテロリストたちが、監視をかいくぐる為にネットゲーム上のチャットで連絡を取り合う、なんて場面が海外ドラマでもあったりしましたけども、
そのロジックを援用するならば確かに同じ「(反政府)テロリスト扱い」な民主活動家を封じ込めるために中国政府がそうするのは理解できるよね。
まったく賛成はできませんけど。
逆説的にまたゲーム内での運動が、現実社会に影響力があると中国政府の中の人たちが認識していることがまた面白いお話ではあります。
その意味で言うと――もし本当に政府による圧力ならば――他の政府よりもずっと「進歩的」ですらあるかもしれない。
むしろより多くの人目に晒されかねないゲーム内だからこそ、デモと同じく規制した、というのはやっぱり合理的。



ともあれ、まぁ『表現の自由』について、強権体制・独裁者たちがそれを嫌がるのがよく解るお話だとは思うんですよね。
つまるところ、彼ら彼女らがそれを嫌う理由ってその自由とは「反対意見を述べる自由」でもあるから。
更にはその反対意見を不特定多数の目に晒したくない、という気持ちも。


昨今のリベラルな社会についての議論において、あるいは民主主義制度についての議論において、あるいは本邦でも効果があるのかないのか言われる「デモの自由」なんかもこういう文脈にあるわけですよ。
デモというのは、つまるところ「反対意見を表現する自由」の一環である。
もしその自分たちのような反対意見があるということが社会に広く認識されてないと思うのであれば、そうした「反対意見の存在」を公共の場で集会やデモをすることでその存在を知らしめることができる。
それをする自由の権利がある。
故に『デモの自由』というのは、リベラルな民主主義社会において重要な権利の一つとして考えられているわけでしょう。
だってそこを侵すという事は、「反対意見を言う自由」が侵されることに繋がる道でもあるから。



ちなみに彼らが閉じ込めたいのはそうした「反対意見」であって、独裁政治でも困らないという人たちの言葉には一定の説得力があるわけですよ。
元々それを言う気がないのであればその自由はあってないようなモノでもあるし。
――ところが醒めない愛がないように、明けない夜がないように、やまない雨もないように、
永遠に続く政権支持なんてものも、幸か不幸かこの世には存在しない。


まさに本邦における安倍政権のコロナ対応のようにその不満が大きくなればなるほど、その封じ込めなければいけない場所は、森以外にも無限に広がっていくことになる。
コロナの失策で中国政府への不満も高まるかもしれないというのは以前から予測されていましたけども、
そこで「『森』の封鎖!」という形で表沙汰になるのは面白い構図だよね。


ただ、こうした方法ってかなりめんどくさくリソースを消費する終わりのない対策であって、出来ればやらない方が良い方法なんですよね。
だからこそ賢い独裁者たちは、それを自粛させ萎縮させる空気を作り出そうとするわけで。
経済的・物理的脅迫や、あるいは情報管理よって。
独裁政治の運営というのは、その空気を作り出す力と、大きくなっていく政府への不満との、終わりなき戦いでもある。


はたして今後そうした「反対意見を言う自由」は森以外にも広がっていくのだろうか?
言いたいことも言えないこんな森の中のように。


みなさんはいかがお考えでしょうか?