絵画の価値に目が眩む人たち

絵画の価値に目が眩んでバカなことするやつなんてやついる!? いねえよなぁ!?


ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で 英 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
ゴッホの「ひまわり」にトマトスープかける、化石燃料に抗議 英美術館 - CNN.co.jp
ゴッホのひまわりにトマトスープBUKKAKE*1」という特殊性癖愉快なニュースがあったそうで。

「有名絵画」を襲えばニュースになるので、自分たちの主張が安く、手っ取り早く世界に報道される。

 だから、防備の薄い、知名度の高い絵画をスキャンして、あらかじめカメラその他も手配したうえで、その手のアピールをして見せる。

 というのが彼ら彼女らの手法で、言って見れば「炎上型ユーチューバー商法」の一種と呼べそうです。

ゴッホの「ひまわり」にトマトスープかけたお粗末な犯人の言い分 過激化する「エコテロリスト」たちの「心の貧困」(1/4) | JBpress (ジェイビープレス)

そんな身も蓋もない。ただ個人的にも最初に連想したのは、先日のAVスプラのアレ『スプラトゥーン3』を使った企画「AVスプラ」一部関係者が謝罪。アダルトビデオを流し批判されたユーザー企画 - AUTOMATONかなあ。構図は変わんないよね。やってはいけない所でやってはいけない事をするからこそ、意味がある。


でもまぁマジレスをすると、こうした炎上上等なやり方は過激なアクティビストたちの方が先駆者であり伝統芸であって、むしろユーチューバーの方が確実に後追いではあるので『一種』としてしまうのはちょっと可哀想ですよね。
「悪名は無名に勝る」とは昔から言われているように、それは確かにある種の成功戦略であります。故に何度も擦られ続け、現代社会でも尚繰り返されてきた手法として。
幾ら正しいことを啓発しても、そもそも聞いて貰えないのなら意味がなく、故に炎上覚悟で行動する。
その意味で「正しく」バカな事をやって耳目を集めているのが、こうしたいつもの運動家しぐさでもあります。


彼ら彼女らは、今後は更に価値のあるモノを人質にした行動をしなければならない、という相対性の連鎖に陥っているのは愉快なお話だなぁとは思います。
飽きられたら終わり。あの手この手で炎上させ続けなければ、誰も見てもらえなくなってしまうから。
故に彼らはその相対性と過激化から逃れられず永遠に走り続けなければならないのです。資本主義の犬なのかな?

 2人は続いて片手を壁に接着。1人は「どっちが価値がある? アートか命か?」と叫び、さらに「絵の保護と、地球と人々の保護と、どっちをより心配している?」と問い掛けた。

ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で 英 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

ここで更に皮肉でクッソ面白いのは、この入場無料のイギリスの国立美術館にやってきている大半の一般大衆よりも、その『絵の価値』を気にしているのはこのトマトスープをぶっかけた二人の方なんですよね。
だってそれが希少価値のあるものだと解ってなければ、そもそも「ぶっかけ」という特殊プレイにも意味がなくなってしまうから。


その意味で「入場無料」として開放されているナショナルギャラリーでやるのはちょっと片手落ち感は否めないよねえ。それこそ100歩譲って上流階級御用達でお金が掛かっている美術館の方を狙うならまだ、「絵の保護と、地球と人々の保護と、どっちをより心配している?」と言う決め台詞にもまだ意味があったのにね。
ところが、寄付を中心にして集められた美術品と、市民の権利・福利厚生を目的に無料開放されている美術館でそれをやってしまっている人たち。
そんなことやったら支持を集めるべき一般の人たちから反発を食らうだけなのにね。まぁ特殊性癖ってそういうもんか……。


ただただ『絵』の価値だけに目が眩んでしまい、まったくそぐわない場所で抗議活動をしている人たちについて。
気候変動よりもアートに注目する腐った世間に天誅するはずが、自分たちの訴えている言葉がそのまんま本人に突き刺さっているのはやっぱり愉快なお話だよね。
いやまぁもしかしたら、敢えてバカなことをすることで突っ込み待ち、という高度な炎上戦略なのかもしませんけど。脚本の人そこまで考えてる?


みなさんはいかがお考えでしょうか?