Fly me to the anywhere

Let me play outside the prison




ゴーン被告の会見 海外メディアはどう伝えた? | NHKニュース
ということでゴーンさんの会見があったそうで。

ゴーン被告の記者会見は海外メディアも大きく報じています。

このうちフランスの公共放送フランス2は「ハリウッド映画のような逃亡劇だったが、逃亡の経緯については何も話さなかった」と指摘しました。

そのうえで「逃亡劇以外のことについては終始、大変じょう舌で、会見に備えてライオンの肉でも食べてきたのではないかと思えるほど、意気込んでいた」などとゴーン元会長の会見の様子を皮肉交じりに伝えました。

またアメリカの有力紙、ニューヨーク・タイムズは「カルロス・ゴーンは被害者か悪人か?」というタイトルを付けた記事の中で、「ゴーン氏が汚名を返上したいと真剣に思うのであれば、劇場型の会見よりもっと説得力のある主張を展開する必要がある」と批評しました。

ゴーン被告の会見 海外メディアはどう伝えた? | NHKニュース

うーん、まぁ、そうねえ。彼の自身の地位を利用した日産時代のグレーゾーンギリギリ――実際にはアウト判定も多い――な利益誘導やら、裁判への反発、あるいは劇的な逃走騒動でもそうでしたけど、一連の風景を通じて繰り返されてきた『自由な金持ち』という絵が、まぁ更に強固になったお話かなあ。


その意味ではこのゴーンさんの取り巻くニュースって、まぁ一貫したストーリーが同時上映されているお話だと思うんですよね。
(故にそこで賛否ハッキリ分かれることにもなる)
「AnywheresとSomewheres」という現代民主主義政治の最前線テーマ - maukitiの日記
『somewhere』に縛られているのではない、自由な世界人・グローバルに活躍する『anywhere』な人の不幸な出来事を、私たちはどう見るか、という構図について。

  • 「people from somewhere」(自分は特定の地域・文化に属している一員、と考える人たち)
  • 「people from anywhere」(自分は特定の地域に縛られない自由な(グローバルな)都市市民である、と考える人たち)

現代民主主義社会における私たち社会の内部にはもちろん大小様々な分断がありますけども、トランプ旋風やブリグジットの勝利によって、これ以上ないほど解りやすく示されたのが、上記反グローバル運動としての『分断』ですよね。
グローバル化によって恩恵を受ける人たちと、そうではない人たち。恩恵の有無だけではなく、そこに価値観の断絶が生まれ政治運動へと発展するようになると……。

「AnywheresとSomewheres」という現代民主主義政治の最前線テーマ - maukitiの日記


特定の地域社会に縛られず、自由に、世界中のどこでも生きていける才覚ある資産もあるお金持ちが、不当にその地域のしがらみに絡み取られてしまう悲劇。
まさに世界を股にかけて活躍している人物の象徴の一人であったはずの、ゴーンさんの悲哀が……。
『anywhere』な世界に生きる人々にとってこれほどの不幸な出来事はあるだろうか!? 
――いやない!
故にゴーンがゴーンしてしまったのは故あることなのだ!


ところが一方で、強欲で従業員のことなど歯牙にも掛けない冷血な有能経営者としてのゴーンさんの評価でもあるわけでしょう。
実際、ゴーンさんのルノー日産の成功事例とは、まさにsomewhereな人たちを無慈悲に「コストカット」してきた経営者の象徴の一人ですらある。
そんな彼が現地社会の法制度すらも飛び越えられる「しがらみ」として、無視しようとしている。これを許す道理があるだろうか!? 
――いやない!
故にゴーンがゴーンしたことは、金持ちだからという理由で決して許してはならない悪逆非道なのだ!




「現代民主主義政治の分断」を象徴する光景。
グローバルに活躍する人物であれば、もし、現地社会制度が非人道的で遅れた法制度であれば当然無視しても許されるのか?
という疑問は、まぁこうしてゴーンさんから「された側」である私たち日本人ですら、確かに一考の余地がある難問だとは思うんですよね。
ゴーン被告、日本の司法制度は「北朝鮮並み」 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
まさに彼が中国や旧ソ連北朝鮮のようだ、と語っているように。少なくない日本人も、そうした国々の法制度について「遅れた」と思っているのは間違いないわけだし。それに絡めとられた不幸な日本人たちを1ミリも擁護しないなんてことまずありえない。


尚も国際社会()の主流意見を占めるだろうこうしたanewhereな意見からすれば、確かにゴーンさんの振る舞いはそこまで少数派というわけではないんですよね。
つまるところ、私たち日本の大勢も与しているリベラルな価値観を支えているのはそういう人たちでもあるのだし。
しかし、もし本当に、ならば無視してもよいという論理を自明なものとしてしまった時、世界では何が起きるだろうか?
まさにそうした傲岸不遜な態度こそが、反グローバルやローカルへの回帰運動が21世紀の民主主義政治のトレンドとして巻き起こるようになったのではないか?


ゴーンさんのニュースでこれ以上ないほどまざまざと見せつけてくる、『anywhere』な人たちの行動原理について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

ミサイルの、ミサイルによる、ミサイルのための平和

平和的状態とは何か?(哲学)


イラン 米軍に弾道ミサイル 革命防衛隊“司令官殺害への報復” | NHKニュース
ということで年始の爆殺から早速反撃第一波が。

イランの最高指導者ハメネイ師は8日、首都テヘランで演説し、このなかで「昨夜はアメリカに平手打ちを食らわせた」と述べ、アメリカに一撃を与えたと主張しました。

そして「今回の軍事行動では十分ではなく、この地域におけるアメリカの存在を消し去ることが重要だ」として、アメリカ軍を中東地域から撤退させる必要があると訴えました。

ハメネイ師直轄の革命防衛隊は「アメリカがさらなる挑発行為をとれば、一層激しく破壊的な報復に直面することになる」として、反撃をけん制する一方、ザリーフ外相は、ツイッターで緊張のさらなる激化や戦争は望まないという考えも示しています。

アメリカのトランプ大統領は、攻撃のあとツイッターに「すべて順調だ。被害の状況を確認している。今のところ非常によい」と投稿して、現段階で大きな被害は出ていないという認識を示し、8日朝、日本時間の8日夜にも何らかの声明を出すとしていて、その内容に高い関心が集まっています。

イラン 米軍に弾道ミサイル 革命防衛隊“司令官殺害への報復” | NHKニュース

でも思ったより被害軽微で、当初予定されていたトランプさんの演説も中止になる位には何事もなかったそうで。
All is well!
偶発的か、意図的か、まぁ最悪の中でもかなりマシな未来に着地(報復ミサイルだけに)した構図には見えますよね。
やった方も、やられた方も概ね満足しているように見える。
イランは大敵アメリカにこうして果敢にも明示的に報復してみせたし、一方でアメリカとして相手のテロ工作司令官を爆殺した報復攻撃の被害としては実際の被害は極小で住んでいる。
プロレスというと身も蓋もありませんけど。
しかしだからこそ、これは現代民主主義政治における典型的光景でもある。
その正しいレベルの応答と応酬こそが、会場(国内政治)の盛り上がりを支えるカギでもあると。しかもお互いに国内に色々問題があるのだから尚更。
いやあどちらもwinwinなきもちになれる『戦争』ってすばらしいよね。コレは実質『平和』と呼んでもいいかもしれない。
正しい戦争状態よりも、偽りの平和状態のほうがマシだしね。トランプに感謝だな。




まぁその意味で言うと、きちんと打って響いてくれるイランはトランプさんにとって組みやすいというか、挑発し甲斐がある相手ではあるのでしょう。
それこそいつまでも店を出発してくれない北朝鮮とは違って、こちらが打てば打っただけ響き返してくれる相手。
ただアメリカの圧力に屈するだけではこうはならない好敵手として。


もちろんそこでは『不測の事態』が起きる可能性は常にあるし――というか今回の件だって実質的には「偶々」死者ゼロで済んだわけだし――それこそ相手の対応をコントロールし損ねる・意図を読み間違うことこそが、いつだって歴史上の外交的大事件を引き起こしてきたとも言えるんですけど。


まるでプロレスの技の応酬のように、互いに相手へメッセージを送りながら観客を意識した見世物を繰り広げる人たち。
個人的にはここまで見る限り、トランプ的手法の成功事例がまた一つ、というお話かなあ。
偶然か悪運か、その成功体験は彼によってきっとまた似たような事態を招くことにもなるんでしょうけど。


トランプによる平和()的光景ががまた一つ。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

お正月休みは完全に見事に風邪期間となり、ほとんど死体として過ごしておりました。積みゲーを崩す予定が、艦これすら放置でした。世間は新年早々大ニュースばかりで今年も日記ネタに困らない一年となりそうでありますね。
今年もよろしくお願いします。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 前川喜平さん、操作ミスでtwitterを数日投稿できず。〜その間の、陰謀論の発展ぶりがすごかった… - Togetter
    • うーん、最強の反アベ者でも生み出そうと蠱毒でもやってるのか。あるいは見事な典型的エコーチェンバーか。
    • 逆説的に証明されてて面白いのは、ああしてtwitterで色々言うことが「検閲される対象」として彼ら自身が考えていることだと思うんですよね。そこに意味がないとはまさか絶対に言えない以上、そらそうなるとも言えるんですけど。でもそこからして既に私たちと認識がズレていることを考えると地平の向こうは果てなく遠い。
    • たとえばゴーンさんも、わざわざ声明出さずに消息不明となっていたら日本政府が「消した」扱いされてたのかなあ。

謝辞

今年もありがとうございました。


ということで2019年も終わりであります。まさか当駄日記も10年を突破するとは始めた頃には思いもしませんでしたよね。
これもなんとなく閲覧したり、なんとなく反応をくれているみなさんのおかげであります。さすがに壁に向かって一人で喋り続けても辛すぎるし。
継続は力というか。いや、この日記で特に何か成し遂げたわけでもないんですけど。
偶に昔の日記を読むと、ほんともう何ヌケたことを書いてるんだコイツと全消去ボタンを押したくなる衝動に駆られたり――ていうかあまりにも一線を越えてるのは消してる――するんですが、逆説的にそのように過去の自分に感じること自体が現在が少しだけ賢くなっているのだと自分を慰めて、今後も毎日少しだけ賢くなって「maukitiはかしこいなあ!」と褒められることを目標にがんばっていきたいと思います。


近況としては、『艦これ』のE6友軍到来を心待ちにしているというところでしょうか。
こちらももう6年もやってきましたけど、イベント攻略で艦これで年を越すのは割と初めてかもしれない。
年越ししながらイベントで姫級と戦うんだからこれがほんとの姫はじめってな、ガハハ!


来年の目標は、今年も恒例になったもうちょっと本を読むことかなあ。
昨年今年あたりでもうすっかりkindle派になってしまったんですが、ただでさえ狭い部屋に更に本が積まれることがなくなった一方で、あまり視覚的に読後感が出なくてちょっと寂しい。できれば古い本も読んだりしたいんですけども、偶に鞄に入れると重くてビビるよね。


来年も同じようなペースで更新していく予定で、またお付き合いいただければ幸いであります。
みなさんもよいお年を。

「(実名報道の重要性は)知ってるが、お前らの態度が気にくわない」

実名報道が許されるレベルに達していない、と思われている人たち。


【#実名報道】京アニ事件、届かなかった実名報道する「おことわり」 新聞社内 でどんな議論があったのか(京都新聞) - Yahoo!ニュース
【#実名報道】一人歩きした「遺族の意向」 心情をくむ難しさ 京アニ事件(京都新聞) - Yahoo!ニュース
【#実名報道】「ベタ記事」でも求められる判断 どう報じればー託された言葉の間で(京都新聞) - Yahoo!ニュース
未だに統一された意識・一貫したポジションに到達できていない新聞社の生みの苦しみがよく解るお話ではあるかなあ。
興味深い連載ではあります。
いやまぁ『今更』こうしたことを朝まで生討論していること自体が、「え? じゃあ今までってそうした社内議論を経ないで、何も考えずに実名報道でやってきたの???」という従来から批判されていたメディア自身の無自覚な杜撰さの存在について、また改めて証明してしまっているんですけど。

ここに挙げたのはほんの一例で、遺族取材と実名報道の間には幾つもジレンマがあり、記者たちの意見は時に対立した。京都新聞はお通夜や葬儀の取材を自粛するなど、遺族と信頼関係を築くために過剰な取材をしないことでは一致しても、現実の事件への対処で幾つも論点と課題が生じた。だがこうした社内議論を公開するだけでは 、読者には「傲慢だ」「言い訳に過ぎない」と映るだろう。どう説明し、日々の事件報道の中でどう実践するのか、答えが見えない。

なぜ、実名報道が大切だとメディアは考えているのか。その説明責任を果たしてきたのか。被害者側の匿名要請と警察サイドの匿名発表は、「異例」から「時代の流れ」になるか、岐路にある。事件発生から40日後に京都府警は、遺族からの「匿名の意向」を付けて犠牲者全員の実名を公表したとはいえ、実名報道に社会の広い理解が得られず、批判されていることに変わりはない。

【#実名報道】一人歩きした「遺族の意向」 心情をくむ難しさ 京アニ事件(京都新聞) - Yahoo!ニュース

自分たちがどれだけ言葉を尽くし――まさに彼ら彼女ら自身が大好きな『説明責任』をはたしても――結局のところ、私たちからそこまで広い理解は得られていない、という自覚を持つようになったのは良いことなんじゃないでしょうか。
上から目線で、監視されることもほとんどない無邪気な「第四の権力者」として振る舞い、正義の名の下に多くの人たちを断罪してきた過去に比べたら。
もちろん被害者たちは、あるいは未来の被害者になるかもしれないと恐れる人たちは、ただそうした自覚を持っただけで内心の反発を解消してくれるかというと、まぁまったくそんなこと絶対ないわけですけど。


この「実名報道の是非」というテーマに限った話ではありませんが、社会にあるマスメディアへの不満と、それと対応するメディア自身の不作為(のように見られる)という構図がヤバいのはほとんどそのまま政治問題と直結するからでもあるわけでしょう。
まさに『社会の木鐸』が機能不全になるように。
――個人的には新聞にはその役割があるとは思っていますけども、しかし、だからといって、その事実が彼ら自身の能力の証明とイコールになるわけでは絶対にない。
能力が無いくせに、その重要過ぎる役割を担っていたら、それこそ何もしない方がマシだと言われてもしかたない。
「無能な働き者ならば、いっそはじめからいない方がマシだ」なんて。


よく独裁的傾向を持つ政権を批判する文脈から「マスメディアを検閲し言論弾圧している!」というお話があったりして、確かに世界を見渡せばそういう事態が無いとは絶対に言えない。
それこそトランプ政権――あるいは実際に本邦の安倍政権がそうしているかはまた別の議論として――なんかを見れば解るように。
ただその構図を説明するのって、ただ悪意ある政治家たち、それだけでは不十分なんですよね。
現代民主主義社会においては、その「ポピュリズムな政権」「既存メディアへの常態化の不満」両者の共謀によってこそ、メディアの萎縮が起きるわけですよ。
そのどちらが欠けても実現しない。
皮肉にも「少なくない有権者たちの素朴な願いを背景にした」政治家たちの企みによって、メディアの自由は失われていく。
「愚かなマスコミたちを罰してほしーい!」という私たちの素朴で無邪気な願いと共に。
かくしてトランプのような政治家を待ち望む有権者たち。


今回の京アニ事件の実名報道騒動でも確実にそうした『願い』の総量は増加し、メディアの自由が規制される未来にまた一歩近づいたと思うよ。
その背景や文脈を理解しようとせずに、政治家たちの振る舞いだけを批判してみてもまったく事態の好転にはつながらないどころか、むしろそうした振る舞いそれ自体が、より『強硬な規制』を望む声が増えていく。
うーん、マッチポンプかな?




既に指摘されているように、そうした燃料となるメディアへの不満としては、誤報の際の対応や、あるいは被害者実名報道をメディアの使命とする一方で、同時にまた新聞記事で「記者名なし」が多いこともあったりしますけども。
個人的にはそれよりも、新聞記者のみなさんのtwitterのbio欄に書いてある「発言は個人の見解で、〇〇新聞社の見解ではありません」とエクスキューズしているのが心の底からそびえたつクソだとは思っているんですけど。
普段、不適切発言があるとすーぐ所属組織や企業に突撃するくせに、自分たちはそうやって予防線を張っているのってムシがいいというか、上記「公正でない」「非対称な関係」への不満の典型的一例だと思ってます。





日本に限らずほとんどどこの国でも一般化した、こうしたマスメディアへの常態化した不満や鬱屈は、今後解消されていくことがあるだろうか?
――まぁそうならなければ「反メディア」を敢えてポジションするトランプさんのような政治家たちの登場を許すことになるんですけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

独裁政治への道を舗装するもの

悪の独裁者・民主主義の破壊者を倒すためならばと、悪にでもなろうとする善意な人たち。


トランプ大統領を弾劾訴追 アメリカ史上3人目 米議会下院 | NHKニュース
そういえば結局トランプさんの弾劾が始まってしまったそうで。

最終的な有罪判断には上院3分の2の賛成が必要。現在の上院は定数100議席のうち、53対47で共和党が多数を占めるため、トランプ氏は無罪となる可能性が極めて高いとみられている。

米上院の弾劾裁判はどういう仕組み トランプ氏に弾劾決議 - BBCニュース

といっても上院裁判は通るはずもなかったので、まぁ既に各所から言われている通り、無理筋というか「批判のポーズを取る為の弾劾」という印象は拭えないかなあ。
結局これで得られるのは、アメリカ政治において今後も当然起きるだろう『弾劾決議』へのハードルが下がるというだけでしょう。それを民主党のせいで、とまでは言いませんけど、結果として将来の更なるカオスの種を撒くことにはなる可能性は高そう。
ザ・批判のための批判。


トランプから「弾劾された大統領」の汚点は消えない、永遠に | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
もちろんそうした構図に反トランプガチ勢な人たちは批判・反発するでしょうけど、ただここまで見事に弾劾に意味を見出されてしまうと、端から見ていてもアメリカ政治に蔓延するという「二極化」がよく解ってしまうお話だよね。

トランプが弾劾訴追されたのは現実だ。弾劾自体が彼に対する報いであり、その痛手は途方もなく大きい。弾劾された大統領という汚点は永遠にトランプに付きまとうことになるはずだ。

トランプから「弾劾された大統領」の汚点は消えない、永遠に | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

弾劾されたこと自体に意味を見出すのであれば、当然民主党の大統領が同じことをされてしまった時にも同じポジションを採らなければいけなくなるのにね。
もちろん反トランプなポジショントークとしてはそれでいいんでしょうけど、しかしこうした「勝ち目がないと解っていながらも強硬する弾劾決議」が、トランプ政権以後も当然続くものと見られているアメリカ国内政治の健全化に繋がるのかというと、まぁ怪しいよねえ。
結果としてそのカオスをもたらす行為としてはトランプがやっていることと大差なくなってしまう。
行動経済学が教えてくれるように、一回限りではない繰り返しゲームでは、当然相手にしたことは自分もされることを覚悟しないといけないのだし。


たとえば『民主主義の死に方』のレビツキーとジブラットによる著作も、まぁ二人の「トランプは悪である」という強い確信と、その強いタイトルが意味するところのトランプ政権批判こそを主題においた著作ですらありますけども、しかしそんな二人ですら安易な・勝ち目のない弾劾決議を強行することには批判的なんですよね。
なぜなら、まさにトランプ政権がやっているように「通常の規範」「不文律」を無視することは、結果としてそれは政治の敵対的な二極化を進めることなってしまうから。

たとえ民主党が強硬な戦術を用いてトランプ政権を弱体化、もしくは辞任させることに成功したとしても、それは割に合わない勝利となる。なぜなら、彼らが引き継ぐことになるのは、残り少ないガードレールさえもが根こそぎにされた民主主義だからだ。トランプ政権が議事進行妨害によって倒されたとき、あるいは超党派の強い同意なしに弾劾されたとき、党同士の敵対意識と規範の衰えはより強まり、さらに加速してしまうかもしれない。そもそも、そのような敵意や規範違反こそが、トランプ大統領に権力を与えることになった要因のひとつだった。
おそらく国民の三分の一は、トランプの弾劾を左翼による大掛かりな陰謀とみなすだろう。なかにはクーデターだと考える有権者もいるかもしれない。そんな状態になるとすれば、アメリカ政治は危険なほど不安定なままだ。*1

まさにその通りに過激な反トランプ派によって弾劾へとまっしぐらな民主党の姿が現実になっている2019年末のアメリカ。
弾劾決議そのものが繰り返されるようになることが恐ろしいのではなく、そのような行為でもライバル政党を蹴落とすためならば許されるだろう、と考えてしまうようになる空気こそが恐ろしいのにね。
そうした(必ずしも法律違反ではないが)ルール無視な不当行為の応酬によって、やがて無数の規範によって支えられているリベラルな民主主義政治を殺していく。


トランプをあまりにも強く憎むとき、彼らもまたトランプのようになるのだ。
いやあ二極化政治っておそろしいよね。


おそらく、私たち日本も絶対に他人事ではないだろうアメリカ政治の二極化の現状について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:『民主主義の死に方』第9章民主主義を護る「ルールや規範を守る」

通常日記

クリスマスだし手抜き日記。

  • 長男殺害 元農水事務次官側が控訴「判決には事実誤認」 | NHKニュース
    • 一人殺した割には随分軽くて「ヒキコモリを殺しても、一般の人間一人分の罪の重さじゃないんだな!」って感心していたら、斜め上の展開へ。まぁこれはこれでそうした「殺しても(心情的に)許される人間」の線引きについて更なる議論が進みそうなのでwktkしながら見守っていこうと思います。