いつか「昔、核兵器というものがあった」と言える日

微妙に出遅れ感な核兵器ネタ。


そういえば以前の日記で少し触れた、田母神さんは結局講演したみたいですね。

 約千人を前に、田母神氏は、秋葉市長の平和宣言にふれながら、「核廃絶が即、平和につながるわけではない」と主張。「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけた。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/090806/edc0908062214000-n1.htm

相変わらずでした。
前提はまともなのに何故か結論が斜め上な例。



さて置き本題。
http://www.asahi.com/national/update/0724/OSK200907230136.html
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090806k0000e040003000c.html

オバマジョリティーて。
それより核廃絶派って多数派だったんですね。


まぁ単純に核保有国家と非保有国家を較べたら確かに多数派なのは間違いない。
逆に保有国家の総人口と、非保有国家の総人口を較べたら負けてますね。
こう考えていくと多数派とか少数派とか、どうでもいい感がすごい。
最終的にサイレントマジョリティーが出てきちゃいますし。考慮して今回の結論は「核は廃絶です!」的な。

無ければ良かった核兵器、あって良かった核兵器

その最初の動機(とにかくでかい爆弾)はともかく、結果的に核兵器は戦争抑止力という思わぬ副次効果をもたらした。
そして国際政治から見れば確かに核兵器は戦争抑止力の一端であった事は間違いない。
核兵器の登場によって、(冷戦に対して)「熱戦」が起きなくなったのは事実だと言える。


勿論、ある・無しの二元論で言えば無いほうがいいのは前述の例を借りれば「多数派」である事は間違いない。
だけどぼくらは「戦争で奪い合うほど平和が大好き」なわけで。
これまでの歴史を見ると、核兵器はそんな本能を押さえ込む程度の役割はあったと。
では、核兵器というこの枷が無くなった時どうなるのか。


結局こうして考えると、この問題での分岐点は、
核兵器=抑止力があった場合のリスクと、無かった場合の熱戦のリスクとの大小という事になる。


現状、どうにもらならない本能を持つ我々は、核抑止力という劇薬を服用しているわけだ。
危ない薬というのは誰もが理解していても、それを止められない。無かった頃にはもう戻れない。



核兵器を無くせ!」と叫ぶ人は、核兵器なんて無くても戦争は起きないと人の良心を信じているのか、
もしくは見ないフリをしているのか。
核兵器を持て!」と叫ぶ人は、核戦争なんてほぼ起きないと人の常識を信じているのか、
もしくは見ないフリをしているのか。



核兵器が悪いのか、
核兵器なんかに頼る私達の未熟な精神が悪いのか。