会社がやばくなったら本気出す

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091021-00000002-voice-pol

◇無料記事は購読の拡大にまったく繋がらない◇

 経営再建の指導にあたったメディア産業に強い経営コンサルタントの試算によると、新聞に限らずアメリカの情報産業全体でコンシューマー(一般国民)の情報支出は年間4%から6%程度下落しており、新聞購読など有料情報の摂取や、コンサートチケットなどのイベント支出を真っ先に削る傾向がある。世の中はもはや無料で閲覧できる時間潰し的な情報に溢れており、個人的に本格的な興味を持ち金を払ってでも読みたい、知りたいという情報分野はホビー、実際に参加するスポーツ、アカデミックなど特定の分野に限定されつつある、というのが実情だ。

 逆に、大学などでの生涯学習MBAを含むビジネストレーニング、外国語習得や会計、法務といったビジネススキルの市場はいまなお伸びており、情報産業全体の産業構造は大きく変容し始めている。誰もが等しく新聞を読み、社会や時事一般において共通の関心領域を持つ時代は過ぎ去った。政治や経済などハイエンドな情報と、スポーツ情報や芸能などボトムの情報との乖離は大きく、その中間の情報を幅広い層に対して提供することが使命とされた新聞社のビジネスは、もっとも金を払ってもらえないサービスになっている危険性が高い。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091021-00000002-voice-pol


なるほど。
かつて「重要な情報の発信源」だった新聞の苦境。
現在に至るまでのインターネットの隆盛は、「情報の発信源の多様化・簡易化」と言える事ができるわけで。
ならばその新聞の相対的な地位低下はある意味当然の結果と言える。
地位低下した新聞の苦境。
日本より一足先に苦境に立った欧米の新聞業界は、もうやる事なす事全て失敗した上にむしろやらない方がマシだったという結果に陥ってる、らしい。




ぶっちゃけ「客観性」や「公正中立」を謳うのであれば、もう淡々と事実のみを報道してればいいわけで。
(それでも報道しないという究極の方法があるけど)
しかし情報発信源の多様化した現在においてそれがどれだけ価値があるのかと言うと怪しい。


よく新聞社が新聞の重要性の世論調査的な事をした上で、(ここは笑う所)
メディアとしての新聞の長所は「事件・事象に対する専門的な知識が読める点」
みたいな事がよく言われている。
そりゃテレビのワイドショーよりかは何ぼかマシだろうけど。
本気でそんな事を思っているんだろうか。
風の息づかいを感じていたりかえって免疫がついたり麻生出て来いの所とかが?


まぁ実際の所、現在の新聞の価値と言えば、最早そうした事実+解説位しか見ることはできないというのは同意できる。
実際にその解説がきちんと達成しているかと言えば困るけど。
例えば、キッシンジャーによる国際政治の解説とかは確かに読む価値はあると思う。


キッシンジャーのような専門家の解説が毎回全てで出せればそれでいいけど、勿論そういうわけにはいかない。
逆に言えばそうした専門家による解説以外の、新聞記者が書いた記事にこそ、新聞には価値があるのか?という結論が掛かる。
そういえば新聞記者というのはすっごい給料いいらしいですね。


で、今現在こういう結果なわけで。
今後は「更に安い給料」で「より良い記事」が新聞業界の生き残りに必要になる。


まぁ上記のような面白新聞書いてるような高給取りもそろそろ本気出すんじゃないかと思います。
多分。きっと。だったらいいな。


あ、いや別にどうでもいいかもしれない。