子供には無理です

「いじめられる子供の共通点」を調べる研究 | スラド Linux
「負けに不思議の負けなし」*1とか言ったら怒られるんだろうなぁ。
もしくは「アンナ・カレーニナの原則」*2というものがありましてね。こっちでも怒られるか。

多かれ少なかれいじめられた経験を持つ人は多いかと思うが、いじめられる子供は非言語コミュニケーションにおいて共通した問題を抱えていることが研究で明らかになったそうだ(LiveScience、本家/.記事)。

いじめられる子供には非言語コミュニケーションにおける非言語シグナルの読み取り、その社会的意味の理解、および社会的葛藤解決の選択肢の提案のうち、少なくとも一つの分野において問題があるという。例えばイライラした相手のしかめっ面に全く気付かなかったり、その意味を理解できなかったり、また自分の欲求と友人の欲求との間を上手く調整できなかったりするといった傾向がみられるそうだ。

「いじめられる子供の共通点」を調べる研究 | スラド Linux

参考:何故味方のアイツが憎いのか - maukitiの日記
上記日記でも少し書いたけど、究極的には人は自分とは違うものを排除しようとする。見た目でも名前でも優劣でも何でも。だからいじめになる理由は無限にある。それが爆発するかどうかは人それぞれだけど。もしそんな「異質」が人より多ければ爆発する確率は当然上昇するし、しかしそれを上手く隠せる能力があればその確率は下がる。


この話はそうした、異質を上手く隠せる能力の一種なんだろうなぁと思う。それを上手く隠せるような振る舞い。当然これが全てではないけど、確かに一部ではある。


しかしまぁ大人の世界でさえ(子供よりも理性的であったり合理的であったり、あるいは暗示や明示されたルールがあるのに)いじめがあるのに、より本能で生きてる子供のいじめが無くなるなんてまったく予想できないですよね。
仲間をいじめ殺してるイルカに向かって「いじめよくない!」と説教してる位の空回り感。
結局、いじめをやるような子が悪いとか劣ってるというよりも、むしろそれをやらない子達を誉めるべきなんじゃないかなーと思うわけです。その意味でこうした話によくある「いじめられる方が悪いなんてとんでもない!」という言説は理解できる。いじめる奴が悪いんじゃない、いじめられる奴が悪いんじゃない、いじめない奴といじめられない奴がすごいんです。
いじめはあるのが普通の状態であって、いじめが無い事を基準にするのがそもそもの間違いだと思う。

*1:有名な野村監督の「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」より。元祖は違う人らしいけど詳しい事はぐぐってね(はぁと

*2:「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸である」というトルストイ先生が結婚生活について語った言葉で、物事は構成するうちの何か一つ間違えただけでもそれで全てが失敗になってしまうんだよ理論by『銃・病原菌・鉄』より