愛国心の何が悪いのか

愛国心 - Wikipedia
よくある愛国心の話。何故一部の人からそれが危険だとしばしば指摘されるのか?


実際愛国心は究極的にはスケールが大きい身贔屓なわけで。そんな身内への無邪気な好意自体が悪いのかと言うと勿論そうではない。それは最終的に行き着くのが、その自分の「身贔屓した」あるいは「理想上の」または「好意的解釈」によってなされた判断が引き起こす事態こそが危ないと。まぁつまりかつての日本やドイツのような愛国心の行き過ぎた例。だから私たちは(ドイツでも)、愛国心というものに必要以上に脅威を感じてしまう。


本当に恐れなくてはいけないのは、そんな自らの文化や歴史が使命を与えているのだ、と無根拠に自分の意識・価値を肥大化させてしまう事である。だから愛国心がその罠に陥りやすいと言うのはその意味では確かに正しい。しかしそれは愛国心と必ずしもイコールになる物ではない。


自分の身の丈にあっていないような誇大妄想を抱く事こそが、歴史的に見て概ね、悲劇の原因になってきた。本当は大して実力も正当性も無いのに現実を見ないで、「自分には大役がある」と妄想してしまう事が。
だからそんな大東亜共栄圏とか、ドイツ第三帝国のレーベンスラウムとか、よく解らない主張に帰結して、大抵あとで後悔する様な羽目になる。


で、そんな誇大妄想に陥るような例が愛国心によってだけなされるのか? というとそれは絶対にない。
例えば、アメリカ軍になんか頼らなくても自分達の力だけで何かできると妄想したり。
東アジアの安定の為に日本が独自にリーダーシップを取るべきだとか妄想したり。
被爆国だからこそ核兵器の無い世界へと舵を切れると妄想したり。
かつての大東亜共栄圏のような地平にまで至るのは、愛国心だけがそうさせるのではない。大抵の場合自分の価値や文化や歴史には、その果たすべき大きな役割があると、無根拠に思い込んでしまうことこそが危険なんです。その流れの過程において、「愛国心」という物は(一部で)危険なものであるとされてきた。


まぁつまり、本来の自分の身の丈に合わないような事をすると大抵ロクでもない事になりますよ、という教訓なんですよね。愛国心の恐怖といえば。