「もうがんばらなくていいんだ」と気付いてしまった人たち

再び老人へと戻りつつあるヨーロッパの人たち。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36230
ということで今更ながらに責任の所在を探しているヨーロッパの皆さんであります。

 欧州連合EU)は今、前の世代の「偉大なヨーロッパ人」の過剰な自信がもたらした帰結への対応に追われている。通貨ユーロを生み出した人たち――ドイツのヘルムート・コール元首相や、ジャック・ドロール元欧州委員会委員長など――は、ジスカール・デスタン氏と同様に歴史に名を残したいと思っていた。

 しかし、単一通貨をその中核に据えた、統合された欧州を遺産にしたいという彼らの夢は、今では悪夢に変わってしまっている。

 経済・政治危機の真っ最中に昔の政治家を批判するのは的外れだと思われるかもしれないし、真っ当なやり方でないとさえ思われるかもしれない。しかし、ユーロ危機の解決に当たって、「誰に責任があるのか」という問いに答えることは今後重要になる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36230

多分にジョーク成分が含まれて入るんでしょうけども、しかしまぁくすっとしてしまうお話ですよね。ユーロ導入時にはあれだけ熱狂しておいて、そしてこのザマであると。現実をおいといて責任追及に走ってしまう人たち。まぁそうしてしまう気持ちはわからなくはありませんよね。だって人間だもの。


さて置き、これまでのユーロ関連の日記でも散々書いてきたお話ではあるんですけども、個人的にはやっぱり現在の欧州危機の要因は「モチベーションの欠如」こそが原因ではないかなぁと思うんですよね。もうそれを進める理由がなくなってしまったからこそ、彼らは目的そのものはまだ諦めていないものの、しかしその為に「努力すること」を諦めてしまっている。


そのモチベーションのはじまりは、建国の父――というよりは最初期に声をあげた構想者・扇動者の一人であるチャーチルさんが1946年のチューリッヒ演説でその進むべき方向を指し示して見せた、という辺りでしょうか。彼が戦後の惨憺たるヨーロッパをして「ヨーロッパとは何か? 瓦礫の山、納骨堂、すべての悪疾と憎悪を育む素地ではないか」と述べていたそれを、まるで奇跡が起きたかのように一変させる特効薬。その至高の療法とは何か?

「それはヨーロッパの家を再び創造し、あるいはできるかぎり再創造に近づけ、平和と安全、そして自由の下に住むことのできる構造を再び築きあげることだ」
「なにゆえ表われないのか――この騒然とした、だが力強い大地に住む混乱しきった人々に、国を越えた愛国心と共通の市民意識を与えられるヨーロッパのグループが。そしてなぜ、そのグループが別の大きなグループと組み、人類の運命を方向付ける為のしかるべき立場に立とうとしないのか」
「我々は一種のヨーロッパ合衆国というものを築かなければならない」

もちろん全ての人が賛成というわけでは決してありませんでしたが、しかしそれでも破滅的な戦争の惨禍を目の当たりにした多くの人びとはそのチャーチル先生の構想に魅せられたのでした。平和への欲求と、世界における卓越した地位。それが一度に手に入れられる素晴らしき特効薬。かくしてヨーロッパのはそのあまりにも楽観的な理想主義に邁進することになるのです。そしてそれはかなりの部分まで成功しました。文字通り彼らの「決死の覚悟」があったからこそ。結果として、ソ連崩壊によってヨーロッパの平和という大目標の一つは概ね達成され、そしてもう一つアメリカに並ぶ超大国となる目標まで後一歩というところまで彼らはやってきていたのです。
ところが、案の定というか、ついにその麻薬は切れてしまった。経済危機でふと我に返ってしまった人たち。最早かつてあった決死の覚悟も薄れてしまう。気付いたら最後の目標であった、アメリカに並ぶ超大国という目標までも、いつのまにか中国さんに抜かれてしまう始末です。
そりゃ「もうゴールしていいかな」という気持ちになるのも解らなくはないよなぁと。とりあえずは平和は実現したし、アメリカも唯我独尊じゃなくなりつつあるし、これだけやれば十分だろう、なんて。人間いつまでも若い気持ちのままやってはいけないのです。その意味では、いそげいそげとユーロの導入をバカみたいに急がせた人たちの思惑も解らなくはないんですよね。ある種の熱狂状態だったからこそ、いけいけどんどんと彼らは後先を考えずにひたすら先へと進む事ができていたのでしょう。そんな麻薬が切れるまでにどうにかゴールしてしまいたかった。
――まぁ、間に合わなかったわけですけど。


しかしこうしたある種の『克己心』というのは多分どこの国でもあるんじゃないかと思うんです。
南北戦争後のアメリカ、上記大戦後のヨーロッパ、文革から経済開放後の中国とか。悲惨さを味わった人たちだからこそ持ちえた特別なモチベーション。そしてそれこそが復興と発展の礎だった。私たち日本だって例外ではなくて、戦後の焼け野原からものすごい勢いで復興してみせた戦後の人びとの献身と努力というのは、多分現代を生きる私たちにはあまり理解できないんじゃないかと思います。
後になって歴史として見るとまるでチートのような成功を遂げた人たち。彼らにはどこもそうした特別な克己心が働いていて、しかしそれはやっぱり一定の成功と共にいつしか忘れ去られてしまう運命にあると。


その意味では、欧州連合という構想は、やっぱりこれまでは助走によって駆け抜けられた面が大きかったのでしょう。それが途切れたこれからが本番であるのだと。正真正銘自分自身の足で進んでいかなくてはならなくなってしまっている彼ら。この重大な人類史への挑戦だからこそ、「がんばらなくてもいいんだ」と気付いてからどれだけがんばれるか、がやっぱり真価を問われるんだろうなぁと。なんか根性論っぽいオチに。


老人から若者になり、そしてまた老人へ。
がんばれヨーロッパ。