重税よりも恐ろしい不平等

少し前から話題の、何故偉い人の脱税や横領がこんなに嫌われるのか? な事例から考えてみたお話。


結局の所、私たちにとっては「より重い負担」よりも「より不公平な負担」の方が嫌われる、っていう事だと思うんですよね。
私たちは皆で一緒に損するよりも、誰かが抜け駆けして不正に得をする方が許せない。貧困問題よりも格差問題の方がより気になってしまう様に。絶対的な最低基準よりも、相対的な偏差の方が気になってしまう。
相対評価と絶対評価の壁 - maukitiの日記でも少し触れた、過激な動物愛護運動のような彼らは確かに行き過ぎた例ではあるものの、しかし私たち自身にそんな資質が全く無いとは決して言えない。絶対基準よりも相対基準が、もっと言えば他人との差を気にせずにはいられないから。


例えばフランス革命が教えるような、あそこまで暴動が広がったのは教会と貴族達が不公平に負担を免れていたから、的な教訓。
当時のアンシャン・レジームとしてのフランスは他の大陸諸国に較べたら、実際「まだ」マシな方だった。今でも残る彼らの毒々しい程に豪華な遺産は、当時のフランスが特別に他所に較べてひどく抑圧的したからというよりはむしろ、フランス自身の持つ力であったから。第三身分な彼らは当時としては、普通に抑圧されていただけだった。
しかし彼らは、歴史に残るような革命を起こした。そのあまりにも不平等な負担によって。いつまでたっても彼らの苦難の負担が平等にならなかったせいで。
そんな一部の市民革命が教える歴史は、大抵の場合冗談のような重い負担よりも冗談のような不公平により怒る、という事を私たち教えてくれているんだと思います。重税よりも不公平な負担の方が私たちは目の敵にすると。まぁそう考えると私たちの基本的なメンタリティはあの時代から、むしろ市民意識が目覚めた時から、大して変わってないんだなぁと暖かい気持ちになります。


だからこそ現代の私たちにとっても、税制やら年金やらの福祉問題においてしばしば、「平等な負担」が最大のテーマになってしまうわけですよね。
私たちは何よりも「不平等な負担」を嫌うから。それは正義や公正の問題というよりも、そうでないと自分の気が済まないから。