沖縄が戦略上の要衝? 一体それが何だと言うのだ?

昨日の日記書いてて思ったこと。そこで一例として挙げたものの、確かにそうした「沖縄米軍による安全保障が日本防衛の生命線だからと言って、それが一体何だと言うのだ?(沖縄に基地を置いていい理由にはならないぞ!)」という意見には、個人的には賛成できないけれども、まったく根拠が無いと言うわけではないんですよね。
そんな殆どの国家が経験してきた「国家の生存の鍵を握る生命線」についてのお話。

私たちが望んだ生命線

そんな現在の日本にとっての沖縄や台湾の重要性、現在の中国側から見れば「第一列島線」とか、そんな感じのいわば「戦略上守るべき重要な生命(防衛)線」というのはどこの国にもあった。
例えば日露戦争前夜での日本にとっての朝鮮半島。あるいは1931年前夜に日本が自ら語った中国東北部満州。同じ頃にアメリカが「日本との戦争に必要である」と語ったフィリピン。イギリスにとっての「生命線」「のどぶえ」だったスエズ運河。等々無数に、それこそ国家の数だけ生命線も存在してきた。
「我らにとってあそこは国土防衛上絶対に死守せねばならない!」的に語られていた何か。


そんな昔の日本のような国家たちが自らの生命線と信じてきた数々の戦略上の要衝は、まぁ結果的には、大抵の場合無くなってもその国家自体が崩壊する事はなかった。満州を失っても、朝鮮半島を失っても、フィリピンを失っても、スエズ運河を失っても、日本だってアメリカだってイギリスだって色々あったものの国家自体は今もそれなりに元気にやっている。むしろ余計な負担から解放されて楽になったとさえ言う事もできるかもしれない。だからそんな、「国家にとっての生命線だからといって、横暴に振る舞っていいのか?」と無邪気に言ってしまう事は少しは理解できる。
大抵の場合、そんな彼らが信じた「生命線」は実際に経済的・戦略的な事実であると同時に、彼らがそうあって欲しいと願った精神的態度の反映でもあったから*1朝鮮半島満州やフィリピンやスエズ運河(インド)は自分たちの覇権の一端であると信じていた事の証左でもあったと。
今回もそんな要素が全く無いとは確かに言い切れない。特に前科のある日本が沖縄の重要性を語る事を、それは単に我々の自尊心の反映ではないかと疑がってしまう。

正解がまだない正当な疑問

と色々言ってきましたけど、その疑い自体は理解できても、まぁ「疑う」だけでは何も変わらないんですよね。相手を説得できなければ。答えが用意できなければ。
そんな(いわば古典的な)国際政治の力学に代わる何かを私たちは、第一次大戦が終わっても第二次大戦が終わっても冷戦が終わっても生み出すことはできなかったから。だから現状に不満を持つ大抵の人々は、疑う事以外にできる事がない。
私たちはあの頃の日本と同じように、そして周辺国家もまた同様に、お互いにパワーを使って自分の「国家の生命線」を守ろうとしている。今日は昨日の続きであって明日は今日の続きでしかない。少なくともまだしばらくの間は。

*1:参考『満州事変とは何だったのか』