彼らにあって私たちにないもの

北朝鮮への制裁を巡るごたごたのお話。


対北朝鮮で手詰まり感、米国防長官 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

 ゲーツ国防長官は、関係国が一致した行動をとることが重要だと述べたが、米国とその同盟国の選択肢は限られていることも認めた。
 ゲーツ長官は英国放送協会BBC)が6日伝えたインタビューでも、「北朝鮮に対する外国の姿勢や北朝鮮国民の窮状を北朝鮮指導部が真剣に受け止めない限り、軍事力にでも訴えない限りできることはほとんどない。そして軍事力の行使を望む人は誰もいない」と語っていた。

対北朝鮮で手詰まり感、米国防長官 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

そこに当然是非はあるだろうけど、確かに予定調和の世界ではあります。結局の所、彼らにはあったけど、私たちには無かったから。
国際関係の歴史上、まぁよくある話ではあるんですよね。最終的に引き金を引く事になるのは、度胸と決断力なのか、あるいは状況がそうさせるのか。この辺は歴史を動かすのは個人か、それとも状況か : 地政学を英国で学んださんで詳しい話があります。僕もポール・ケネディ大好きです。引用先ではチャーチルさんが言われていますけど、個人的には満州事変の時の「持っていた」日本とそれを生暖かく見守る事しかできなかった「持っていなかった」欧米、な構図。


彼らはその度胸と決断力をもって、現在の(哨戒艦を沈没させた)事態を引き起こした。そして同時に何がそうさせたかと言えば、身も蓋も無い言い方をすれば、彼らには「失うものが無い」状況があったから。
しかし私たちにはそんな度胸と決断力も無いし、そして同時に軍事力の行使に踏み切る事が「失うものが無い」なんて状況は絶対にない。むしろそんな軍事力行使だなんて失うものが大きすぎてとんでもないとさえ思っている。


彼らにはそんな「度胸や決断力」と「状況」があった、しかし私たちにはどちらもない。


けどまぁ別にこれが殊更強調すべき悲劇だというわけでもないですよね。両大戦や多くの戦争や紛争が証明するように、いつだって歴史はそうした、やる気に溢れた失うものが少ない挑戦者と、それを見守る失うものが大きい現体制派たちの争いの歴史であるんだから。で、結果として何事も無ければ忘れていくし、悲劇的な結果に終わると後知恵で「ああすれば良かった」「こうするべきだった」と語ってしまうだけ。今回の一連の流れだって、特別な事じゃない、そんなよくある話たちに加えられる一例でしかない。
歴史上、度胸や決断力だけではその状況を覆せない事も多かったし、そんな状況だけでは度胸や決断力を持てなかった人だって同じようにたくさん居た。そして翻って現在の状況を見れば、片方だけでさえ難しいのにそれが両方とも無い私たちに何かができるのかと言うと、「うん、多分ムリです」としか言えない。