戦争映像で私たちが真に見たいもの

なかなか考えさせられるお話です。
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特に面白いと思ったのは以下の部分、

 米インディアナ大学のブライアント・ポール准教授(電気通信学)に言わせれば、爆発や死体をひたすら写した映像は戦争が持つ倫理的な複雑さを失っている。
 一例が、米兵がイラク人の死体を食べる犬を見て笑っている動画だ。「彼らの行動は戦争に対処しようという心理的カニズムの表れかもしれない。普通でない状況を普通にしなければ生き残れないからだ」と、ポールは指摘する。「だが動画を視聴する人には、その事実が理解できない。だからこそ目にしているものの全体像を理解することもできない」

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確かにそうした動画や写真などの映像を見て私たちはそこで起こっている事を知ることができる。本来知りえないはずの、遠く離れた場所で起こっている何かを「知る」ということを。
しかしそんな認識が正しく理解に結びついているかというと、決してそうではないと。私たちはそんな生半可な知識で、そうした悲劇的な映像を見ただけで、何かを知った気になって語ってしまう。
よくある「Wikipediaさん(笑)」の問題と似たような話なのかもしれない。もちろんその正確性とかはともかくとして、記載された表面的な知識だけがどれだけ役に立つのかと。きちんとわきまえた人も多いんだろうけど、しかし少なくない人々がwikipediaさんを見ただけで理解した気持ちになってしまう。うわー耳が痛い。

事件は現場で起こっていますか?

私たちがよりリアルな映像情報を求めてしまうのは、戦争という非日常をより理解したいと思っているからなんですよね。まぁ大抵「よりリアル」というのは「より残酷な」を意味しているんだけど。残酷さこそがリアルであることの証明であると信じているから。

 それでもポールが言うように、戦争ポルノはイラク戦争アフガニスタン戦争の特殊なバージョンとして永遠に生き続けるはずだ。このバージョンは敵を同じ人間として、生命を価値あるものとして見なさない。一部の米兵が引き金を引くことに感じる苦悩や痛みに目を向けることもない。

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しかし逆にアメリカを代表として兵器システムがより進歩すればするほど、自動化や「ゲーム感覚」などと言われるような、そんな残酷な面から遠ざかろうとしているのは皮肉な話ですよね。


戦争を知らない私たちがより残酷さを望むように、しかし戦争の当事者達はよりデフォルメする事を望んでいる。
両者のうちどちらが間違っているかというよりは恐らく結局どちらも正しいんでしょう。それは同じものを別の方向から見ている事でしかないから。