やさしいカリスマのつくりかた

カリスマのお話。いやもちろん美容院な話ではなくて。
カリスマ - Wikipedia
カリスマとは (カリスマとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


少し前まで格闘家的な人で「反逆のカリスマ」って人居たじゃないですか。反逆のカリスマって微妙に意味が解りませんよね。まぁ実際それがどういう意味だったのか、今に至るまで全くさっぱり解らないわけですけど。けどまぁ確かに惜しい感じはします。それは「カリスマ」という要素はいつだって既存の権力・大勢に反逆するものに与えられてきたから。
ということで、古くはキリストさん仏陀さんから、カエサルやナポレオンやヒトラーまで、日本的に言えば信長さんとか小泉さんとか、古今東西に共通するカリスマへ至る道、のおはなし。

×「反逆のカリスマ」→○「反逆するからこそカリスマ」

(特に政治的な)カリスマの主張に殆ど全てに共通してあるのは「反権威」という手法である。
つまり「あなた方がこれまで信じてきた方法よりも、ずっと素晴らしい方法がある」と提示すること、「あなた方はこれまでよりもより正当な報酬を受け取る権利がある」と主張することである。「これまでの既存の存在・やり方は間違っていた。しかし私はそれを看破し、人々に変革を与える事ができる」と。
そしてそんな言葉に魅了され、あるいはそこに明るい未来があると信じるからこそ、私たちはそうした主張をする人自身にも拡大して価値を見出す。故に彼らはカリスマたりえると。


つまり殆ど全てのカリスマと呼ばれる人たちはそれまでの既存の大勢を占める何かに対して反逆を示してきた。既得権益なり既存権力なりあるいは古い因習に。
まぁそれが本当に正しいかどうかは、概ねさて置かれて。

ウェーバーさん風に言うと「日常化」による結末

当然の話ではあるんだけども、そうやって広義の「反権威」によってカリスマへと至った人々は、いつか自らがやったように「反権威」されてしまう存在へと進化してしまう。
その意味でカリスマのみでの政治的影響力は多くの場合で長続きしない。
彼らの反権威が成った暁には、自らが批判してきた権威は最早無くなってしまうのでカリスマ性はどんどん薄れていく。そこから先に進むには、新しい反逆先かあるいは何か他の論理や正当性や説得力が必要になるのだ。で、それに失敗した人たちが「カリスマの末路」なんて風に歴史に残ってしまう。


結局「反権威」というカリスマの手法というのは、もし成功したとしてもその瞬間に効力が消えてしまう儚い物なんですよね。それを持続させる為には永遠に何か反逆するものを探し続けなければならない。だからまぁ一般的にカリスマと呼ばれる政治的指導者たちの最後は、なんかもうがっかりな感じになってしまうと。


以上、簡単ににできる(故にすぐ壊れる)、やさしいカリスマのつくりかた、でした。

参考

社会学への招待』