盗んだポリコレ棒で走り出す

狡猾な右派が現代政治をかき回す。


「右派が持っていて左派に決定的に足りないもの」とは一体何か?(ブレイディ みかこ,石戸 諭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
当日記でも何度かネタにしている、現代民主主義政治議論においては割と定番ネタではありますよね。
おそらくは1968年頃の革命騒動を契機として、それまで我々にとって死活的に重要であった経済(格差)問題を第一ではなく、権利平等やマイノリティ集団救済(別にそれ自体が悪いというわけでは絶対にない)へとシフトしていく左派たちが、やがて置き去りにした経済問題をポピュリスト的な右派に乗っ取られ支持を奪われていくことになる構図について。

右派は、受けがいいものを徹底的に取り入れ、盗んでいきます。その一方で左派は、右派は主張から宣伝手法まですべてが間違っていると考えて、ことごとく真逆にやろうとする。そこが違うところですよね。

「右派が持っていて左派に決定的に足りないもの」とは一体何か?(ブレイディ みかこ,石戸 諭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6

まぁ本旨としては概ねここなのかな。
個人的には、後半部分のとにかく相手とは違うことを言おうとする「反リベラル!」「反ネトウヨ!」な人たちはどちらにも見られてしまうので、割と同じ穴の狢だとは思ってますけど。
ただ、「声の大きさ」だけは明確に違っているのは間違いない。
どちらが、どういった場所で、どのように大きいか小さいかはまぁ皆さんが薄々感じている通りなんじゃないかな。




ともあれ話を戻して、個人的にはこの「右派は、受けがいいものを徹底的に取り入れ、盗んでいきます」で一番面白く、そして出来の良い「盗作」だと思うのがフランシス・フクヤマ先生が『IDENTITY』で指摘しているアイデンティティ政治の利用だと思うんですよね。
最初にも書いたように、より「属性における」弱者救済を目的にするようになった左派たち。
ところがぎっちょん、当たり前の話ではありますけども、多文化社会が進めば進むほど、かつては(打破すべき)保守的価値観を支持する人たちや、属性的にマジョリティだった人たちはいつか相対的少数派へと転落していく。
アメリカ白人が多数派でなくなる日。
それは「自分たちの集団が不当に差別されている!」「自分たちの集団の苦しみを左派たちは解ってくれない!」という声の盛り上がりだった。
もちろんそれは歴史的経緯や文脈を無視した、かなり白々しくも大雑把な議論ではあるものの、かといって、実際に白人貧困層が(まさにその『属性』故に)既存の弱者救済というリベラルな価値観から置き去りにされてきたことも間違いないわけでしょう。


かくして、こうした構図を背景に「アメリカファーストだ!」で当選したトランプ大統領であるし、離脱派が勝ってしまったイギリスでも、あるいはハンガリーポーランドなどポピュリズムが盛り上がっている東欧でも構図は概ね同じである。




これまでリベラルな左派たちが訴えていた「不当に差別されている少数派集団を救うべきだ!」という声の裏返しとして、
「追い詰められている我々の伝統的価値観・文化・生活を守れ!」という声が皮肉にも一定の説得力を持って生まれている構図。


かつての主流文化であった立場から転落し、その立場を『政治的正しさ』を使って要求する狡猾な右派たちについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?