そのうち「労働者などの余剰人口を出さない為に、根本的に食糧生産性を低めて全員農業やろうぜ!」とか言い出しそうで怖い

2010-07-20
出生率低下のお話。
貧困国だと「概ね」出生率が高い、という前提はまぁ確かに間違ってないと自分も思うんだけど、なんでそこで「だから貧乏になろう」という結論が導かれるのか相変わらず何か斜め上なお方な感じです。


実際、人口統計学の分野において出生率の低下について説明する時に経済的なモデルがよく用いられる。と言ってももちろんそれだけで説明するのは乱暴過ぎるけど。
そこを敢えて経済上の問題から何故出生率が下がるかを説明しようとすれば、「子供を産んだ場合に必要となる直接費用」と「もし産まなかった場合に稼げたはずの機会費用(逸失利益)」の上昇が最大の原因、と言われたりする。要は子供を産んでも(精神的な満足はともかく)経済的には損失しか導かないと。


つまりまぁ貧困国が一般に出生率が高いのは、その直接費用と機会費用を回収するのが(先進国よりもずっと)簡単だから。
元ネタ先にも書いてあるけど、確かに貧しい国では子供がみんな働いている。教育も受けずに。だから当然教育などに掛かる費用や、そもそも子供を育てる事自体に掛かる費用も早く就労できるようになる分安くなるし、そうした貧困国では女性の地位も低いので母親の就労による機会費用も元々小さい。
その是非はここではさて置くとして、では私たち日本のような国でそんな事ができるかと言うと、まぁそんな事はまったくない。子供を働かせるなんて人権だとかいう以前に、そもそも高卒やあるいは大卒でさえ仕事がないのに。そうすると当然親としては子供がきちんと働けるように、より良い教育を求め、そして更に直接費用は増大する。そしてまた同時に女性の社会進出による収入の増加は機会費用の上昇も招くと。
確かにこれらは私たちが目指してきた理想社会のもう一つの面ではありますよね。


その意味で「貧乏になろう」というのは一面では正しい。結局の所どこまでいっても、私たちが信奉する機械化や労働生産性を高める行為は、必要な人間の数を減らす事なんだから。つまり貧困国になって私たちの信奉する「効率化」を捨てて、手工業化のように生産性を下げていけば、当然必要とされる労働人口は増えるんでしょう。理論的には。そして教育を受けていない子供でもできる単純労働も増えると。
うわぁすごい250年位前に見た光景です。確かあの頃も似たような選択をした国とかありましたよね。インドとか。物を運ぶのは歩きでいいし、布を織るのも手作業で充分だと。産業革命なんて我々の仕事を奪う悪魔の所業だ! なんて反対運動でさえもあったりした。そしてまぁ最終的にはそんなインドの人による安い労働力は、それよりももっとお安いイギリスの機械たちに負けてしまったんですけど。


なんか貧乏になろう宣言は、今更そこかよと言うよりは、一周して逆に新しい!? 的なノリです。

まとめ

ていうかこの前の日記で大量生産大量消費批判について書いた時も思ったんだけど、この人のしばしば漏れ出る反文明思想というか終末待望論*1は、某ケインズさんの「長期的には我々はみな死んでいる」的なセンスに近いものがあると思う。

*1:まぁこれらをしていわゆる「おちゃらけ」と自称してるんだろうけど