やっぱり外交安保は選挙争点にならない日

私たちはそれを何と呼ぶべきだろうか? なお話。
以前書いた外交安保が選挙争点になる日 - maukitiの日記は結局無理そうですが、それを喜ぶべきなのかそれとも悲しむべきなのか。


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100806/plc1008061234013-n1.htm
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010080602000207.html

 菅直人首相は六日午前、広島市内で記者会見し、秋葉忠利市長が平和記念式典での平和宣言で米国の「核の傘」からの離脱を日本政府に呼び掛けたことについて「国際社会は大規模な軍事力がまだまだ存在しており、大量破壊兵器拡散の現実もある。核抑止力は日本にとって引き続き必要だ」と述べた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010080602000207.html

ということで二大政党制に足を踏み出したはずの私たちは、改めて「外交安保は選挙争点にならない」ということを証明した。
それは概ね二つの点から成立する。「私たち有権者の無関心」と「外交安保という長期目標な性格」から。かつてそれをチェンジさせると約束した人びとが、こうした現状維持という結論についに至ったのを見て私たちは、
それを成長と呼ぶべきだろうか?
それとも妥協の産物と呼ぶべきだろうか?

現代の日本において、現状追認以外の選択肢が外交や安全保障の分野でも果たして生まれるのだろうか?

外交安保が選挙争点になる日 - maukitiの日記

と以前の日記で書いたけれども、実際の所私たちは本当に、外交安保が選挙争点になる日を望んでいるのだろうか? 「有権者の無関心」とはつまり優先順位の問題でしかなく、そして現実に他の何か(主に経済)を優先させてきたわけで。また更に、そもそも「外交や安全保障」を深く語れるような政治家を前回選挙等において望んできたのか、というと怪しい。
まぁそうした状況を鑑みると、結局の所日本人がそれを総体として本当に望んでいるかというと、やっぱり望んでいないという傾向しか見えてこない。


その上で「核抑止力は日本にとって引き続き必要だ」と述べるに至った彼を見て、私たちは、
進歩したと言うべきだろうか?
後退したと言うべきだろうか?