「アメリカ支配」という皮肉で幸運な世界

最善の選択肢が無い国際関係に生きる私たち、のお話。


http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080701000720.html
こうした事例に対して「アメリカだって似たようなことをやっている」とか「アメリカも中国も大差ない」と指摘する事は確かにできるし、そして全てではないしても、ある程度まではそれも一面の真理を突いているとも言える。
これまでのアメリカの振る舞いと今回のような中国の振る舞いはヘゲモニー的志向という点において何か違いはあるのか? と。


アメリカに批判的な人びとが主張するように、アメリカのこれまでの振る舞いに瑕疵があったかといえば、ほぼ間違いなくあった。しかしそれでも欧州の左派論者さえも指摘するように、アメリカの一極状態にあったこれまでの世界の状況はそれでも「幸運でかつ皮肉な状況」だった。それは同時にアメリカという超大国が世界でも最も整備された民主主義国家のひとつでもあったから。
少なくとも正当な民主国家がその超大国という地位にあったのはやはり幸運だったと言うしかない。故に一般には、それなりに、アメリカによる支配は賛成されている。


しかしそれでもアメリカの一極主義的な世界秩序は非難される。
まぁそれはいいとしても、その非難の際の対比として、まるで何かまったく間違いの犯さない夢想的な理想郷国家を比較に持ち出すのはフェアではない。アメリカは一つでも間違いを犯したから、現在のアメリカ主導の世界状況は正しくない、などと。歴史上これまでそんな国家などありはしなかったのに。
それはかつてのナチスドイツやあるいは戦前日本もしくはソ連や中国を肯定する時に、「北朝鮮クメール・ルージュよりマシではないか」と主張するのに近い。「上を見たらキリがない」という文句と同様に、下を見てもキリはないのだから。
もし現在の状況からアメリカと中国の覇権志向を公平に見るのなら、同じ志向をもっている実際の両者二国を較べるべきであって、何かどうしようもなく無能な政府と較べるのも理論的な理想国家と較べるのも、正しいとは言えない。


その意味で前述の「超大国(アメリカ)が民主国家」であるということは、少なくともこれまでは、私たち日本という国にプラスに寄与してきた。もちろん最善ではないが。
だからといって次の局面として考える際に「最善ではないアメリカと最悪ではない中国」などと較べるのはやはりあまり公平ではない。そこにあるのは「最善でも最悪でもないアメリカと、最善でも最悪でもない中国」これら二つのうちどちらの覇権主義がまだマシか、と考える事である。


他にあった選択肢は、もう、無くなってしまったから。