金銭欲にも満腹中枢があればよかったのに

お金と幸福の相関関係のお話。


http://wiredvision.jp/news/201008/2010081823.html

お金と幸福が単純に比例しないということは、「お金はなぜ人を幸福にしないのだろうか?」という興味深い問いを生む。この問いに対して、先ごろ『Psychological Science』誌に発表された研究が、1つの回答を出した。
ベルギーのリエージュ大学の心理学チームが行なったこの研究は、[ハーバード大学の]心理学者Daniel Gilbert(ダニエル・ギルバート)氏が提唱した「実際の経験によって幸せの尺度が拡張される」という説(experience-stretching hypothesis)を検証したものだ。[未来を予想しているときは幸せだが、実際に経験すると簡単には満足できなくなるという説。

http://wiredvision.jp/news/201008/2010081823.html

まぁ概ねほとんどの人が理解できる話なのではないかと思います。「お金と幸福が単純に比例しない」と。といってもそんなうなる程の大金を持ち合わせたことなんて当然ないわけですけど!
引用先ではアーミッシュの例が取り上げられてますが、個人的には昔大学の経済学の授業で「ゴッセンの第一法則(限界効用逓減の法則)」を習った時に、ふと似たような考えた事を思い出しました。
そうした1単位辺りの満足が減っていく、つまり今回の例でいえば金銭の消費による満足は次第にその効用を減らしていく、っていう単純な話じゃダメなんだろうか。ミクロ経済学的に考えれば、つまり金がいくらあってもその1単位辺りの効用はそりゃ段々減っていきますよね、っていう。


さて置き、人間に三大欲求ってあるじゃないですか。食欲・性欲・睡眠欲。
あれってやっぱり人間の生物的な本能に由来するものだから、そうした欲求と同時に対抗する満腹中枢とか満足中枢的なものも装備されているんですよね。どんなに食べまくってもいつか満腹になってしまうし、どんなに発散してもいつか賢者モードに入ってしまうし、いくら寝てもいつかそれで満足してしまう。基本的にその欲求にはいつかストッパーが働く。まぁそれは過剰摂取による身体へのダメージ避ける為の機能であるし、そもそもそうした欲求を満たす行為もやり過ぎればいつか満足を感じなくなってしまうから。
でも金銭欲にはそれがない。
だけど、上記の記事やあるいは昔から人生の教訓として語られているように、実はどこかで私たちもそうした金銭による満足を感じる限界を向かえているのかもしれない。単にそれを感じることができないだけ。例えば過食症に悩む人などと同じように。
勿論そこに個人差はあるんでしょう、大食いだったり絶倫だったり「朕は国家」なので3時間しか寝ない人だったり、しかしそれでも限界はあるのだと。何故それを意識できないのか自覚できないのかって、満腹感がいつまでたってもやってこないから。
金銭欲にも満腹中枢があればよかったのに。
そうすれば「お金と幸福が単純に比例しない」という事を本能で察知することができたのに。でもそれがない私たち人類の悲劇。


と、ここまで書いてなにかSFにありそうなネタだなぁとは思った。
戦闘本能を無くした・無くされた人類の話や、あるいはもっと具体的に殺人衝動を取り除かれた人類*1等の話はSFでは結構定番ともいえるネタではあります。
それと同様に、金銭欲にも歯止めが掛けられた人類のお話。バッドエンドにしろハッピーエンドにしろそれはそれで面白そうですよね。実際にあるかどうかは単純に僕が知らない(覚えてない)だけかもしれないので、もしあったらごめんなさいしときます。

*1:ジョー・ホールドマンの『終わりなき平和』がそんな話だったと思う。そうして人類が終わりなき・永遠の平和を手にする的なお話。