『華麗なる佐野一族と仲間たち』ネタが果たした役割

実はあれこそ私たちを、他人の不幸で愉快痛快な怪物くんへと変貌させる転換点となったネタじゃないかと。


東京五輪エンブレム 使用中止の方針固める NHKニュース
佐野氏 使用例の画像 無断転用認める NHKニュース
ということでオチがついたそうで。まぁパクりの真偽はともかくとして、しかし世論という「空気」に負けてしまった感はあるかなぁと。日本的と言えばこれ以上ないほどに日本的。ついに佐野さん周辺の人たちは彼を庇いきれなくなり、彼は空気に屈することになった。
そしてその炎上劇を見ては溜飲を下げる「一般人たる」私たち。他人の不幸でメシがウマい。
人の不幸は蜜の味? 2歳児にも他人の不幸を喜ぶ感情があることが判明(イスラエル研究) : カラパイア
少し前にも人間のそうした「他人の不幸は蜜の味」な性質は赤ん坊の頃から持っているという身も蓋もない研究についての記事があったりしましたけども、まぁ石投げからギロチンまで古今東西人類社会で繰り返されてきた風景ではありますよね。あれは恐怖政治であると同時に民衆たちの「ガス抜き」でもあったわけだから。
昨今では行動経済学なんかからも明らかにされているように、条件が揃えば怪物たる私たちは自分の幸福による満足と、他人の不幸による満足は等しくなる。まぁ社会学として擁護すると、こうした感情は公正さを素朴に望む私たちの社会的動物としての善性と表裏一体でもあるんですけど。善人であればこそ、私たち不正な利益が正される=他人が不幸になるとガッツポーズを隠せない。
つまり、こうしたざまぁ感が形成され発動するにあたって重要なのは、「不正が疑われ」かつ「(自分よりも)恵まれた人」が不幸になる、という二点にあるわけですよ。
当たり前の実感として自覚もある人が大多数でしょうけども、ただ他人の不幸というだけじゃ私たちのココロは踊らない。上記二点が明らかであればあるほどその感情は暴走するわけで。その意味で今回の件は結構典型的な炎上事例ではあるでしょう。まさに恵まれた環境にある彼の不義に鉄槌――という名の不幸――が下されることを無数の人たちから内心で望まれ、そしてその通りになった。


さて置き、五輪エンブレムから始まりトートバッグから多摩美大まで、様々なパクり疑惑がネットにおける素晴らしき集合知で次々と明らかになっていったわけですが、その意味でパクり検証と同じくらい、今回の『空気』を形成するにあたって重要な役割を果たしたのがあの「華麗なる佐野一族と仲間たち」というネタだったかなぁと。
彼自身や同じデザイナー仕事仲間たちによる選考員連環の理だけでなく、親兄弟含めて超エリートばっかで凡人たる僕もびっくりですよ。
単純に彼らがそんな内輪のコネで五輪エンブレムの仕事を得たとか真偽不明(個人的にはあまりにも陰謀論的で出来レースなんてのはまずないとは思いますけど)な批判じゃなく、むしろあまりにも恵まれていた彼の華麗な環境と経歴が、こうして世論の矛先を決定的にさせたのではないかと。恵まれた環境から生まれたクソみたいな(のように見える)作品群。どちらかが欠けていればここまでの炎上劇にはならなかったでしょう。しかしその両輪は見事に噛みあってしまった。
MR_DESIGN
そう考えると彼の声明にあるような、彼自身だけでなくその周辺にまで強力に疑惑と怨嗟が向けられたのも無理はないかなぁと。彼個人だけでなくその審査員たち、デザイナー業界、あるいは親族まで「不正と無関係ではないのではないか」と見られるようになってしまっている。今回の騒動って佐野さん本人だけでない周辺への副次的炎上って切っても切り離せない。もちろんこれは悲しいことによくある風景でありますが、今回は特に顕著で、例えば小保方さんの時とは一線を画しているんじゃないかと。まぁ今回明らかになったデザイナー業界の習慣とその擁護という点で、自業自得感はやっぱりあるんですけど。


ということでただパクりパクられ比較画像だけでなく、あの華麗なる佐野一族と仲間たちという解りやすく扇動的なネタ画像を作った名もなき誰かこそが、実は五輪エンブレム炎上騒動でかなり大きな役割を果たしたのではないかと個人的には思ったりします。
もしその人が工作員だったら世論誘導としてはマジ有能。


みなさんはいかがお考えでしょうか?