洗脳研修の元にある社会規範

話題になってる企業研修についてのお話。


http://www.mbs.jp/voice/special/201009/01_30043.shtml
研修という名の洗脳 - (旧姓)タケルンバ卿日記
うわあ、すごいひどい話だ。おわり。




以下いつもの、だけどそれだけじゃ寂しいので何か適当な事書くよ日記。

人間は本当に「悪魔的に知恵がまわる」というよくある一例

今回のようなくら寿司やあるいは以前あった王将の「行き過ぎた」洗脳研修が逆説的に証明しているのが、私たちの「自発的に真面目に働く」という現代社会に規定された美徳の一つである。


そもそも何故、彼らがそんなわざわざ「洗脳」と呼ばれる手段まで取ったのだろうか?
それはつまり、もっと手っ取り早くその会社組織によるヒエラルキー的な権威によって社員達を無理矢理に働かせる、ということが最早できなくなってしまったから。だからこそ洗脳までして、表面上は自発的に真面目に働いているという構図を人工的に作り出している。
かつての産業革命から20世紀初頭まであったような工場システムは否定されたし、厳格な規則体系と強力な権威主義による労働者管理は建前上・表面上はもはや否定されてしまったから。
私たちはブルジョワジーな資本家とプロレタリアートな労働者の階級闘争*1を通じて、そんなヒエラルキーによる関係ではなくて、労働者の自発的な労働、というものに価値を見出してきた。


だからこそ、一般にブラック企業と呼ばれる組織の多くがわざわざそうした「洗脳」と呼ばれる過酷な研修を用いて、人工的に自発的労働を形成させる。ほんとは手っ取り早く強権と命令によって働かせるのが簡単なんだけど、しかしそんな奴隷労働のような事はもうできないから。あくまでも「自発的」という形式が重視されている。
これは別に一部の悪質な企業だけが特別にそうしているわけではもちろんない。
どんな企業であれ、多かれ少なかれ「洗脳」程ではないにしても「転向」やもっと緩い物では「態度変更」のように、企業の目的=労働者の目的となるように常に刷り込みや教育をやっている。勿論程度の問題こそが重要でもあるんだけど。そしてそれは私たちの社会の規範の一つとして規定されている「真面目に働く」という美意識も例外ではない。*2
かつての強圧的な命令の代わりとしてそうした共通の価値観や規範が無ければ、私たちは当然共通の目的を目指す事はできないから。


つまり、かつて本当に善意からそんな過酷な労働環境を改善しようとした試みは、こうした「洗脳」という手段に帰結したわけだ。無理矢理働かせるのは良くないのであくまで労働者自身の意思が重視されるシステムを作ろう、とした結果がこうした状況に行き着く。過酷な環境を無くすんじゃなくて、そもそも苦しい辛いと思わせなければいいと。

  • 反抗できない状況を作って無理矢理働かされていた労働者
  • 反抗したいとさえ思わせないように洗脳されて働く労働者

勿論これはあくまでも最悪の状況の比較であって、もっとより良心的に労働者と付き合っている企業や組織はいくらでもあるし、実際それが殆どである。
しかしそれでも、過去と現在どちらの最悪がまだマシだったかと考えると、色々と趣深い所がありますよね。

*1:イギリスでは最近までその二者の系譜として、労働党と保守党が二大政党だったりしたわけで

*2:ベーシックインカムの議論でもこうした社会規範が影響していると思うんだけど、まぁそれは別のお話。