真に必要な人たちにこそ届かない労働組合の恩恵

そして無くても困らないような所ほど、影響力は未だ顕在だったりする。その深刻な存在意義の矛盾について。



東京新聞:労組も守ってくれない 過重な残業「見ないふり」:社会(TOKYO Web)
ということでみんな大嫌いな労働組合のお話。

すかいらーくの組合はもう労働組合として機能していない。会社のご用聞きだ」
外食大手「すかいらーく」の店長だった中島富雄さん=当時(48)=は二〇〇四年八月に過労死する直前、妻の晴香さん(57)に、こう漏らした。
かつて労組幹部だった中島さんはサービス残業の改善を訴えたが、古巣の労組は冷たかった。失望し、外部の個人加盟ユニオンに相談。倒れたのは訴訟準備の最中だった。晴香さんは夫の遺志を継ぎ、ユニオンの支援を受けながら、会社に職場の改善を約束させた。
中島さんの労災が労働基準監督署に認められた二カ月後の〇五年五月に発行された業界専門誌に晴香さんは目を疑った。すかいらーく労組の委員長がインタビューに答えていた。「店長は忙しさも半端ではありません。しかし、本当にできる店長は、その中でも休みが取れるのです」
夫の過労死が自己責任だと言いたいのか。晴香さんは〇七年七月、「過重労働に見て見ぬふりをしてきた」として、労組にも過労死の責任があったことを認めるよう求め、武蔵野簡易裁判所に調停を申し立てた。

東京新聞:労組も守ってくれない 過重な残業「見ないふり」:社会(TOKYO Web)

愉快な労働組合さんたちのお言葉ではあります。
でもまぁそんな彼らの状況を取り巻く環境を考えればまったく理解できないお話でもないんですよね。だって彼ら外食産業と言えばもっとも競争の激しい業種の一つでもあるわけで。あまりにも厳しい競争の結果、必然の結果として従業員は追い詰められていっている。
おそらくこうした外食産業などは、一部製造業のように将来的に衰退するようなモノではないでしょう。機械化されない人間によるサービス業。その意味では、生き残ることさえ出来ればそれなりに魅力のある業界ではあるのです。
――しかしだからこそ現在の競争は激化することになる。逆説的に彼らはそんな「将来性のある」業界にいるからこそ、そこにいる従業員たちには労使間での発言力がまったくない。機械を酷使するのとまったく同じように人間を酷使する。だってそんな「人間による」サービスこそが商品なのだから。かくしてブラックな企業は横行する。


本来こうした所で存在意義を発揮しなければならない労働組合が、しかしこうして沈黙している構図。でもこれって結局、彼らの悪質さが表出しているというよりは、ただただ身も蓋もなく心底彼らが「無力」であるということの証明でしかないんですよね。彼らにはひたすら発言力がない故に、経営者側の意向に従うほかないのです。
ところが一方で、多くの人びとの嫌悪の対象となっている『労働貴族』という存在も今もまだあったりして、素朴に反感を買ってしまってもいる。
この愉快なギャップこそが労働組合をめぐる構図においてとても悲劇的なお話であるのだと思います。そしてだからこそ人びとの関心は集まらず、残された唯一の解決策である政治による規制(およびセーフティネットの整備)は進まない。
上記外食産業のように、競争が激しく低賃金労働や長時間労働に至りやすい業種ほど労働組合の力は弱く、しかし一方で、そこまで競争の激しくない業種では今でも労働組合の力はそこそこ維持されている。一方には救うべき人びとが、もう一方には淘汰されるべき人びとが。その二面性について。


真に必要な人たちにこそ届かない労働組合。本来必要なのはまったく逆の方だったのにね。

 独立行政法人労働政策研究・研修機構」(東京)の〇七年の調査では、労組に期待しないと回答した労働者は47・5%。理由のトップは「会社と同じ対応しかできない」(36・8%)で、「(労組に相談すると)会社から不利益を受ける恐れがある」(20・1%)との回答もあった。
 労組問題に詳しい甲南大学熊沢誠名誉教授は「一人のために労働者が連帯すれば職場は変わる。働き過ぎやメンタルなど個人の受難に寄り添うことが、労組の復権につながる」と訴える。

東京新聞:労組も守ってくれない 過重な残業「見ないふり」:社会(TOKYO Web)

しかしそんな「復権」の為には彼らにかつてのようなパワー――政治的影響力が必要でもあるわけで。そしていつだってそのパワーの源泉となるのは数の力という組織力でもあるわけで。
しかし、現代の労働組合の多くは、最早致命的に求心力を消失しつつある。
求心力がないから無力なのか、それとも無力だから求心力がないのか。鶏か卵か。


一体どうしたらいいんでしょうね?