中国を「責任あるステークホルダー」なんて言い出したのは何故?

昨日の日記書いてて思った、資本主義とその道徳性、のお話。
これまで幾度となく語られてきた、主にアメリカなどの中国に対する融和的な見方の一つである「責任あるステークホルダー論」や「戦略的互恵関係」などは、最近の一連の中国の行動で更にその後退が加速されて、アメリカでもかなり決定的に変化しつつあります。
ならそもそも、何故そんな風になると言い出したのだろうか? 

情熱を利害へと進化させた人びと*1

ということでまぁ資本主義による過激で野蛮な軍事的野心の抑制については、その誕生から発達と共にもう長い間語られてきた議論ではありますよね。それこそモンテスキューさんが『法の精神』の中で「商業は野蛮な習慣を洗練させ和らげる」なんて言っていた頃からずっと。さすが啓蒙主義のお人という感じです。


結局の所一時期までの、というよりもほんの少し前までのほぼ主流意見でもあった、中国は「平和的台頭」がされていく、というポジションてそういう所からきているんじゃないかと思うんです。より資本主義にシフトしていく中国を見て、「よしいつものパターンきた!」と信じてしまった人びと。
自由な資本主義がより高次の道徳性を導くと信じていた人びと。まぁ確かにそれは昔から賛否両論あったんだけれども、しかしそれでもヨーロッパの歴史やそして日本も少なからずそうした方向に進んできたのは、基本的には正しかったと言うことはできる。
だがその幻想は中国によって破られようとしている。
彼らは、(少なくとも表面上としては)資本主義を取り入れた今も尚、その情熱を捨てていない。
もちろん完全にその道が断たれたという訳ではないけれども。それでもそうした、中国の資本主義化による平和的台頭、というような楽観論は消えつつある。ヨーロッパなどでは上手くいってきたはずなのに、と。

世界の中心でありそれが普遍的理論であると信じた人びと

これって以前流行った社会学における「政教分離と近代化」な思想の失敗の時と似ていると思うんですよね。ヨーロッパの歴史から導き出した法則でもある、政教分離が近代化への必須事項であると信じていたあの頃。
で、まぁそれは結局の所、ピーター・L・バーガー*2などが言うように実はあんまり正しくなかった。それこそ世界で最も栄えているアメリカが宗教と切り離せないように。
あるいは他にも有名どころではウェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』なんて例だとか。


そうした行き過ぎた勘違いをヨーロッパの人びとによる独善的で傲慢な例だ、と言うのはあんまりフェアではない。まぁ普通に考えれば単純に参考例が少なかっただけだと擁護する事はできるから。
しかしそれでも「資本主義による平和的台頭」はこれまであった「ウェーバー・テーゼ*3」や「政教分離と近代化」のようにヨーロッパの歴史例だけを見てしまった行き過ぎた勘違いの例であると、ごく当たり前に、数えられるようになるのかもしれないと思ったりします。


もちろんそうした理論が中国によって、もしかしたら本当に正しいと証明される可能性もゼロではないんですけどね。
うん、あんまりなさそう。

*1:『情念の政治経済学』より。アルバート・O・ハーシュマン - Wikipedia

*2:アメリカの社会学ピーター・L・バーガー - Wikipedia

*3:禁欲的プロテスタンティズムの倫理が資本主義のエートス形成を準備したという歴史的因果関係