中国さんちの家庭の事情

ということで最近の中国外交のぐだぐだ感のお話。


レアアース禁輸拡大で墓穴掘った中国 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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まぁ結局の所、尖閣諸島のアレもレアアースのアレとかで「いや何でこんな所でそんなに切れてるの?」と私たちからすると思ってしまうのは、大国であると自負する中国の地位に見合った扱いを周辺国がしてくれないからですよね。


だからノーベル平和賞ダルフールのアレ*1レアアースの件などで、中国が批判されると、まるで彼らは心外な様子で「私たちに向かってそんな事は言うべきではない」なんて態度に出る。それをぶっちゃけたのが今年のAPECでの「アジアの小国は(中国という)大国に対して外交的に譲るべき地位にある」なんて発言で、彼らはそうして中国は遠慮・配慮されるのが当然だと思っているけども、しかし実際の欧米やノルウェーや日本や東南アジア諸国の態度はまったくそうではない。だから彼らは激怒する。
(それこそアメリカに次ぐまでになった)彼らの地位とその自尊心に見合った認知を得られない。
彼らが怒っているのは実際の所、物質的な何かを欲しているわけではなくて、もっと本質的に求めているのは私たち中国周辺国が持っている「中国への認知」なんだと思うんです。それは政治的野心がしばしば名誉欲に基づいているように。かつての中国と周辺国の朝貢関係のようなものを彼らは夢見ている。


しかし現実に裏切られたと思っている彼らは故に怒り、そして怒り故に、なんかいつもの彼らとは似合わない不合理な行動に至っている。私たち自身も証明するように、それはもう怒ってる時は、その合理性とか損得とか考えないから。

アダム・スミスが「冷たい尊敬」と呼んだもの

こうした構図って、アダム・スミスさんが昔*2言ってたことを思い出します。商業活動は確かに人びとの道徳性を促す一要素ではあるものの、しかし商業活動で成功した人が全て、その道徳性を兼ね備えるわけではないと。そうした人はふつう一部の尊敬しか集める事はない、それはつまり「冷たい尊敬」でしかないと。だから一般に所謂「成金」なんて言われる人びとは、次は尊敬や名誉を集めよう、なんて必死になってしまうわけで。
同様に周囲に傅かれる「大国」であるのに必要なのが、単純な軍事力や経済力や人口だけというわけでは絶対にない。


さて置き、最早歴史上の話ではあるけども、かつて「大国」と相手に認識されるのに軍事力や人口が確かに最重要視される時代もあったんですよね。
もし、その時代に現在の中国があったら確かに皆が認める「大国」であると認知を得ることができたかもしれない。でももうそんな時代じゃない。その国の軍事力だけで、人口だけで、周囲に恐れられ憧れられ愛される国であると認知される時代はもうとうに終わっている。多分もう200年以上昔に。いやまぁ勿論今後またそういう時代が来るかもしれなくはないんだけれども、しかし今現在は確実にそうではない。
なら今は「大国」として必要なのは何なのかと言えば、まぁ文化力だったり国際的な影響力だったり経済力だったり、あるいはジョセフ・ナイ教授が仰る総体的な国の魅力である「ソフトパワー」だなんて言われたりする。
しかし中国は前述の通り、それこそ古き良きハードパワーこそがほとんど全てであると思っているから、それを根拠に現在でも相応しい認知が得られると確信している。


だから私たち中国の周辺国が、そんな時代遅れの誇りを掲げる中国という国家へ抱くのは「冷たい尊敬」でしかない。
現実にそれは確かに尊敬で影響力の一つではあるんだけど、でもその先はない。「うん、そうだね、すごいね」で終わってしまう。中国が夢見る「アジアの小国は(中国という)大国に対して外交的に譲るべき地位にある」なんて事には当然ならない。


そんな「最早大国である」と確信する中国と、そう思っていない私たち周辺国たちの、すれ違い物語。