単独行動主義批判と「世界を変える」という約束

当たり前のことなのに、何で理想に燃えた政治家はすぐにそうしたことを口走ってしまうんでしょうね? というお話。


「世界を変えてみませます」と公約を掲げるも失敗し、結局それが原因となって国民の支持率を失ってしまう構図。オバマ大統領をはじめオーストラリアのラッド前首相や日本の鳩山前首相でも見られたような話ではあるんですけども、まぁそもそも「世界を変える」なんて公約自体が結構無茶な話ではあるんですよね。軍事的な問題でも経済的な問題でも文化的な問題でも環境問題でも、それは殆ど全ての問題がそうであるように。


国際的な協力関係は、大抵の場合、たった一つの包括的な条約によってではなくて、小さな取り決めの積み重ねによって作られていくものだから。
私たちはそうした小さな妥協と合意の積み重ねによって、これまで国際的な協力関係を築いてきた。だからそれはほとんどの場合において不完全なものではあるんだけれども、しかしそうやって少しづつ多国間の合意事項を積み重ねていくしかない。


同時にこれは現代の国際社会における「単独行動主義」の限界でもあります。単独行動主義の失敗は、別に悪意だからとか善意だからとか、そういう問題以前の帰結として当然失敗する。国際的な合意を無視して行動しても、結局国際問題という性格を持つ問題は解決することはできないから。だからこそ「国際」問題だった。少し前には、オバマさんの前の大統領はそうやって単独主義を批判されていたわけで。
だから「世界を変える」なんて約束も、まったく同じ意味で、はじめからそうした現実を無視している。何か一つやればそれで世界は変わるなんてことは、当然、ない。


なのにその口で、かつてあった「単独行動主義」をも批判してしまうんですよね。
以前の単独主義はよくないものでした、しかし世界を変えてみせます、と。ギャグか。
単独行動主義も「世界を変える」という公約も、結局の所、同じ理由で失敗するのにも関わらず。それは例えればオバマさんの「世界を変える」とブッシュさんの「単独主義」であり、言い換えれば、オバマさんの「単独主義」でありブッシュさんの「世界を変える」であったと。まぁどちらもいつもの無邪気なアメリカ人、という批判は確かに出来ますけども。


さて置き、だからこそ、簡単に「世界を変える」なんて約束はしてはいけないんですよね。ゼロから一気に完全な状況に到達するような、そんな都合のいい全世界規模の国際合意など絶対できないのだから。
いやまぁそんな事は結構当たり前の話ではあるんだけれども、しかしそれを約束してしまったらあとで国民から不履行を怒られてしまうのだから。だったら出来ない約束などはじめからしないのが誠実な態度とは言えますよね。選挙ってそんな簡単な話じゃない、とももちろん言えるんだけど。