綺麗な世界を望む人たち

でもそれって大抵失敗してしまうんですよね、なお話。


http://www.kadokawa.co.jp/shop/20101228_info.html
あれです、まぁなんというか、歴史の教訓思い出します。有名どころで言えばナチスドイツの頃のユダヤ人迫害とか、フランスのナントの勅令廃止とか、イタリアやスペインの反・宗教改革な『禁書目録』の運動とか、あるいはアメリカ独立とか。
私たちが普通一般に「自由」というものに価値を見出しているのは、別に何となくだからとか響きが良いからだとかかっこいいからだとか、そういう理由も勿論あるんだけど、実際の所、上記の例が示すようにそうした偏狭な価値観や幻想を追い求めることや思想や知識を管理しようとする試みは、大抵碌でないことになるからなんですよね。
ユダヤ人を迫害しなければアメリカよりも先に原爆を作れたかもしれないのに、プロテスタントを追い出さなければもう少しフランス最強時代が続いたかもしれないのに、イスラム教とかユダヤ人なアウトサイダーたちを追い出さなければあそこまで一気に衰退することもなかったのに。
多くの場合で、良かれと思って追い出したのにそのせいで衰退し、逆に追い出された人びとが移住する事によって別の場所が更に発展することになる。


まぁ勿論行き過ぎた自由の悲劇ももちろんあるんだけど、しかしそれでも大抵の場合、「純潔運動」や「正統な思想」や「綺麗な世界」を作ろうとする試みは失敗してしまうんですよね。失敗するだけならまだよくて、その狭量さが傷つけるのは犠牲者ではなく、実は迫害者自身であると。
そんなこんなで今回もそうして歴史の教訓が証明されてしまうのか楽しみではあります。