少しの時間と少しの暴力が必要なだけだ

問題はそれが「少し」で済むかどうかですよね、なお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5507

世界には、若者の数が多すぎることが問題になっている国もあれば、逆に少なすぎることが苦難をもたらしている国もある。
 しかし、若者の方が高齢者よりも多い国では、選挙を通じて自分たちの運命を少しましなものにするという期待を若者が抱けるのに対し、高齢者の数の方が若者よりも多い国では、高齢者が選挙を通じて自分たちに有利な状況をつくり出すことができる。
 いずれの場合も世の中を不安定にする力が強く働くことになり、機会を得る人々と失望させられる人々がそれぞれ生まれることになる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5507

まぁなんとなく理解できない話ではありませんよね。日本でもよく言われる「老害」な議論もあるわけだし。
この評論を見て思い出したのは、エマニュエル・トッドさんの人口統計などから見る世界認識。というかまんまな感じがしないでもないです。
結局の所、こうした見方に賛同できるか否かの分岐点は、宗教などのイデオロギーによる変数をどこまで考慮するかという辺りになるのではないかと思います。それこそ文明の接近と衝突な「トッドvsハンティントン」の議論対立のように。家族構造や人口動態が決定しているのか、それともイデオロギーによるものなのか。
個人的には、うん、まぁ、どちらもそれなりに影響しあっているという辺りで。


さて置き、本題。
今起こっている中東の騒動が、イデオロギーによるものにせよ、あるいは上記記事やトッドさんのいう所の人口動態による政治変化であるにせよ、どちらにしても現在のそれが『移行期』を示すものであることは、おそらくどちらにしても多くの人が同意すると思うんですよね。まさに一部の人びとが賛美しているような「歴史の変わる瞬間だ!」と舞い上がっているように。

 いずれのケースでも、若者たちは「そんなのフェアじゃない」という、いつの時代にも聞かれたに違いない叫び声を上げるだろう。間違いなくその指摘は正しい。物事がフェアだった試しはない。しかし、最終的には若者が勝つことを彼らは認識しておくべきだろう。これはもう時間の問題だ。少し時間がかかるだけだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5507

確かにその通りであります。しかし問題は、本当に重要な問題は、その『移行期』に大規模な暴力行為がしばしば用いられるということ、なんですよね。究極的には別に原因がどうであろうと、結果として起こる出来事には大して違いがない。そんな現実に起こっている『移行危機』に際して、将来的におそらくそれが良い結果をもたらすと解っていても、結局の所、私たちは見守るしかできない。世界が平和でありますように、と。


そう考えると「右と左」あるいは「革新と保守」の間には深い溝があるんだなぁと改めて思います。だって結局の所、私たちが幾らその中東の民主化を賛美したところで、現実に彼らは銃で撃たれて死んでいくわけだから。それについて無条件に賛同していくことなんて当然出来ないし、しかしだからといって中東の政治的弾圧の起きている現状をそのまま許容する事もできない。変化を求めることはつまり、戦争ということでもあるから。
それを無責任に煽ることも、かといって見ないフリをすることもできない。
いやぁ現実ってほんとクソゲーですよね。