「まるで成長していない」NATO

AA略


リビア飛行禁止空域の維持、NATOに指揮権 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでなんとかリビアの介入を巡るゴタゴタも一応収まったようで。英仏など一部ヨーロッパはそれを強行に主張するし、かといってドイツとかは強硬に反対するし、アメリカさんはやる気ないし、という三者三様な内紛劇。まぁ端から見てる分にはとっても愉快ですよね。
でもそれって悲しいことに以前からずっとやってることでもあります。つまりNATO初の軍事行動だったあの頃、一連のボスニアヘルツェゴビナコソボの軍事介入の時から、そして未だ記憶も新しいイラク戦争まで、ずっと彼らは今回と似たようなことをやってきたわけで。



1992年のボスニアの時、やっぱり今回と同じようにアメリカ(ちなみに当時はブッシュ父からクリントン一期の時代)はその介入に及び腰だった。「そんな戦略的意義の薄いところにアメリカ国民の命と金を懸ける必要は無い」と。で、対する当時のヨーロッパもやっぱり「ならば我々だけでやってやる」と主張していたものの、でもやっぱりアメリカに手伝ってもらわないと何もできなかった。その後、アメリカは妥協し空爆は始まったものの、アメリカのやる気のないそれは小規模なものにとどまった。
1999年のコソボの時、クリントンさんは一転してNATOの介入に積極的になる。結果的にコソボ紛争でのNATO空爆はそれはもうすごい規模のものとなった。
さて、当時なぜアメリカは一転して積極的に介入する気になったのか? 
といえば別にその「人道的介入の理由」がどうだとかそういう理由じゃないんですよね。もちろんそれらが全くないわけではなかったけれども、しかし結局の所、それは『NATO』という組織の生き残りの為に必要だったからそうされた。ボスニアの時、アメリカが非協力的だったせいで『NATO』という同盟組織の存在意義そのものが危うくなってしまったから。拒否する事は簡単だけれども、しかしそれをやっては「ヨーロッパが必要とする時に動けないNATOに意味はあるのか?」と。
つまりアメリカは同盟の(長期的)維持の為に参加する以外の道はなかった。*1



今回のアメリカさんの何とも気の抜けたやり方、決議には一応賛成するもののやる気がなかったり、空母は他所に移しちゃうし、指揮権をさっさと返上したがったり、はまぁそうした過去の事例から学習した結果なのかなぁと思ったりします。敢えて積極的に賛成することも拒否する事もしないけれど、でも肝心のやる気は見せない。
それは虐げられている国民の命を救う為でもどうでもいいと思っているわけでもなく、ただ同盟の結束、のために。


あれからもうすぐ20年、そんな「まるで成長していない」NATOのお話でした。

*1:転じて、コソボ紛争介入の時のNATO作戦名が『同盟の力作戦(Operation Allied Force)』というのは何というか面白いですよね。アライド・フォース作戦 - Wikipedia