私たちは同時に一つのことしか考える事ができない

人間の能力の限界のお話。


ドイツ地方選、反原発の緑の党が大勝 メルケル政権に痛手 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ドイツ州議会選で首相率いる与党敗北、反原発派が躍進| ワールド| Reuters

【3月28日 AFP】27日投開票の独バーデン・ビュルテンベルク(Baden-Wuerttemberg)州議会選は、東京電力福島第1原子力発電所の事故が影響し、反原発を掲げる野党・緑の党(Greens)が歴史的な勝利を収めた。

ドイツ地方選、反原発の緑の党が大勝 メルケル政権に痛手 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

まぁこうして私たち日本の震災によって、遠く離れたドイツにまで影響を与えてしまうと。なんというか「喜びは二倍、悲しみは半分」という名言を残した人が昔その国に居ましたけど、でも現実の私たちの世界にとってはあまり正確じゃないですよね。どちらかというと「喜びは二倍、でも悲しみも二倍」に世界がひとつに近づけば近づくほどなってしまう。
といっても上述のような反原発の動きが広まるのも、実際の所そこまで理解できない話ではありませんよね。


(一般には)それまではあまり疑問に持たれていなかったものが、急転直下そのデメリットばかり強調されるようになってしまう。それまではその電力供給を満たす、というメリットにおいてほとんど無視されてきたはずなのに。
今更になって「原子力発電のこうしたリスクを考えずにそれを使ってきたなんてバカだ!」と言われていますけど、そんなことは火力発電でも水力発電でも同じように言われてきたわけで。化石燃料の枯渇や、土地問題、環境問題等々。だからこそ私たちは火力発電のみに頼ってその排出ガスや炭素資源のリスクのみを増大させるのを避ける為に、あるいは水力発電のみに頼って村を沈める事や周辺の生態環境に影響を与えることを避ける為に、原子力発電のみに頼ってその万が一を避ける為に、こうして様々な方法による混合された発電形態を採っていたはずなのに。


しかしその発想はこうして現実に危機に瀕すると綺麗さっぱり忘れ去られてしまう。それは以前に騒がれた温暖化問題の時であり、ダム建設反対運動の時であり、こうして原発安全神話が揺らいだときに。
温暖化問題の時は「原子力や水力に頼るべきだ」と言い、ダム建設反対の時には「火力や原子力で十分ではないか」と言い、反・原子力運動の時には「火力や水力でカバーすればいいじゃないか」と言う。うわぁすごいバカみたいです。現実には、魔法の杖も銀の弾丸も存在しないのに。


さて置き、こうして考えると、私たち人間ってやっぱり同時に二つのことを考えることができないんだなぁと思います。個人でそれをできる人が居たとしても、集団ではほとんど不可能になってしまう。
私たちは普段はそのメリットしか見ることはないし、しかし非常時にはそのデメリットしか見えない。
「左目で過去を見て、右目で現在を見る」なんてお話が昔ありましたけど、でもそんなことはふつう不可能なんですよね。私たちは大抵どちらか一方しか同時に見ることはできない。そのメリットとデメリット、便利さと危険さ、大抵それはトレードオフの関係にあるんだけれども、しかしその能力の限界から気付くことができない。


そんな悲しい人間の能力の限界、のお話でした。