馬鹿を止める人が居ないエジプト

馬鹿を止める馬鹿が居なくなってしまったエジプトさんちのお話。


カイロでコプト教会をイスラム教徒が襲撃、両教徒の衝突で9人死亡 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえばエジプトさんも未だ色々大変なんですよね。そうした宗教対立は以前からずっと続いてきた事態ではあるし、そして同時に、今回のエジプトの政変でもその「悪化」がごく当たり前に予想されてもいたわけで。
ムバラクさん時代までは、そうした馬鹿をより大きな馬鹿が止めることによって一定以上の大きな規模になることを防いでもいたわけだけど、しかし今現在のエジプトにおいて、そうして止める人はもう誰も居ないわけで。革命によって、独裁者も、強権を有する警察組織も無くなってしまった。
確かに「より大きな馬鹿」は居なくなったわけだけど、しかし「普通の馬鹿」が居なくなったわけでは決してないのに。
じゃあ一体誰がその馬鹿を止めるのでしょうね?

【5月8日 AFP】エジプトの首都カイロ(Cairo)で7日、キリスト教コプト教会が、イスラム教に改宗したがっている女性を拘束しているとして、この教会にイスラム教徒が押し入ろうとして両教徒の衝突が生じ、9人が死亡、100人以上が負傷した。

カイロでコプト教会をイスラム教徒が襲撃、両教徒の衝突で9人死亡 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

しかしまぁ、エジプトの宗教対立の火種ってずっとこんな感じですよね。いわゆる「改宗の是非」的なお話。今回はコプトイスラムにおいて、コプト教徒がその妨害をしているというイスラム教徒側の難癖だったわけだけども、しかしまぁ一般にはイスラムコプトと改宗する場合にこそ障害が非常に大きい、事実上不可能とされているわけで。なのに彼らはこうして暴れてしまう。
まぁ端からみると、「自分たちがやっているからこそ、相手も同じことをやるに違いない」という心理的な投影現象*1・投影性同一視*2辺りなんでしょうか。だからといってそんな心理的解説は問題解決のクソの役にも立たないのですけど。


ともあれ『文明の衝突』風にいうと、その境界面であるエジプトだからこそずっと悩まされてきた摩擦ですよね。それこそローマの時代からやっぱりエジプトはヨーロッパの人々にとって特別な場所だったからこそ。そんなヨーロッパにとっての、「飛び地」あるいは「別荘」なエジプトだからこそ。イギリス統治時代にはコプト教徒は同じキリスト教仲間ということで少数派ながらそれなりに厚遇もされていたわけだし。まぁそうした複雑な歴史事情の方がやっぱり大きいのでしょう。
故にそんな一部の空気の読めない馬鹿が時々生まれてきてしまうと。


その意味で、やっぱり馬鹿が生まれるのは防ぎようのないことでもあります。問題は如何にして「馬鹿を止めるシステムを作るか」ということなんですよね。それはこれまでのエジプトにあった「馬鹿をより大きな馬鹿によって防ぐ」というアレすぎる方法ではなくて、もっと冷静で合理的な方法によって。
ヨーロッパはその方法を大体150〜200年掛けて『政教分離』という方法に結実させたわけだけども、アラブの世界では一体あとどれ位かかるんでしょうか、と考えるとまぁ気の遠くなるお話ではあります。がんばれエジプト。