典型的な「多数決原理」の失敗

だからケルゼン先生*1は80年も昔に「民主主義で価値相対主義を忘れるとおじゃんになるよ」と言っていたのに。


エジプト、イスラム勢力も11日にデモ実施へ 衝突の懸念高まる 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで見事に二度目以降の喜劇として歴史を繰り返しつつあるエジプトさんちであります。大統領側の妥協はあっても流れは何も変わらない。引き金となった「司法権からの独立」という大統領令こそ撤回されたものの、まぁやっぱり新憲法をめぐる国民投票という点は残っているので『反政府側』はこうして納得することもないのでした。
とある革命の存在理由 - maukitiの日記
先日の日記でも書いたように、いつだってその新憲法こそが革命の集大成であるわけだから。革命勝利の証となるもの。それがイスラム教一色だったらこれまでの努力は一体なんだったのだ、と嘆いてしまう気持ちは解らなくはありませんよね。
しかしそんなエジプトの様子を端から見ると「かつて独裁からの自由として民主主義を叫んでいた人たちが、今度は多数決原理は横暴だと叫んでいる構図」でしかないわけでもあります。
なんというか、民主主義は難しいよね、と苦笑いするしかありませんよね。


といってもまぁやっぱりモルシさん及びムスリム同胞団等等の側が責任が無いかというとそうでもないわけで。
どう言い繕うと、エジプトの大統領はエジプト国民「全ての」代表、であるのです。決してイスラム勢力にとってだけの代表というわけではない。ぶっちゃけその精神が現状で守られているのかというと、やっぱりそうではないのだろうなぁと。彼らはむしろ多数派であるからこそ、より慎重な政権運営を行う必要があったはずなのに。ところが見事に強硬策に走り、国民投票という数の暴力でで押し切ろうとしている人たち。そりゃ反発されるのも無理はありませんよね。
民主主義政治と紙一重にある『多数派の横暴』を避ける為の最後の一線をあっさり踏み越えてしまっている。
もちろんそれまでのムバラク政権時代には投獄までされていた彼らの苦難の歴史は理解できますが、その恨みを晴らさんとばかりに強引な方法へ走っても、結局そのツケはムバラクさんではなくイスラム勢力以外のエジプト国民が払わなければいけなくなっているという悲しい構図。個人的には、この辺りはそんな弾圧された歴史に対する鬱憤晴らしという要素があったりするのかなぁと思ったりします。
そこをぐっと堪えて、せめて建前だけでも「価値相対主義」な政権運営を目指せば良かったのにね。しかし勝利の熱狂に浮かれる彼らはそこまで気が回らなかった。


デモで政権を倒したはずの人びとが、今度はデモ対デモで戦おうとしている。
この辺りはもう一度何か代償を払わなければ彼らは落ち着かないのかなぁと悲観的な気持ちになってしまいます。せめてそれが小さなものであることを祈るばかりであります。


がんばれエジプト。

*1:『デモクラシーの本質と価値』ハンス・ケルゼン - Wikipedia