二度目の『ルール・ブリタニア』のおわり

「帝国の落日」というには少し大仰に過ぎるかもしれないけれど。


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まぁなんというか、英国人らしからぬと言うべきか、感傷的でロマンティックな嘆きではあります。

 大英帝国はもはや存在しなかったが、イギリスは知的な意味ではまだ帝国だった。BBCの外国語放送はリスナーの言語で発信されるが、その内容は極めてイギリス的。鉄のカーテンの向こう側の単調で退屈な「御用放送」とは違い、多様な見解と鋭い論争を紹介し続けた。

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確かにその通りなのかもしれないです。BBCの外国語放送が果たした役割は「知的な帝国」と呼ぶべきそれなりに大きいものだった、と。世界的な国際放送・公共放送の先駆けとして。片手に傲慢さともう片手には善意を携えて、彼らはそれが使命であると振る舞った。
しかしそれでも沈まぬ帝国などないわけで。
現在にまで至る彼らの衰退はやっぱりそれ以前、それこそ上記先で言及されているような冷戦時代末期辺りまでがその絶頂であり、あとはもうずっと下り坂だったんじゃないかと思います。それはまぁBBCどうこうの話ではなくラジオという役割そのものもそうだったし、もう世界にはそれこそ無数の報道機関が存在しているように。最近の『アラブの春』の火付けだって(現実にはともかく)ソーシャルネットワークが大きな役割を果たしたと謳われていたように。
最早彼らの役割は終わってしまった。


その意味で、今回の「BBC外国語放送の多くが終了」したことはそれ自体が「衰退の兆候」なのではなくて、本家大英帝国で言う所の「スエズ運河の喪失」や「チャーチル逝去」と同列に語るべき、『帝国終焉の象徴』なんじゃないかと思うんです。
それは消滅そのものではなく、世界帝国からただのヨーロッパの一国へとなったように、世界の主導的なそれから単なるいち公共放送機関へと。



で、それが彼らイギリスの人びとにとって重大な関心を集めるかと言うと、やっぱりそうではないと思うんですよね。

 祖父が魔法の言葉を聞いた場所にチャンネルを合わせても、今はガーガーという雑音しか聞こえてこない。イギリスは世界に向けた声を失いつつある。そして歴史の中でも取るに足りない存在になろうとしている。

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有名なジャン・モリスさんの『帝国の落日』にある「とはいえ、いつの時代もそうだったとおり、英国民の大半は状況の変化に無関心で、帝国の先行きを憂えることもなかった」ように。彼らはあの時も淡々と帝国終焉を受け入れ、そして今回もやっぱり粛々とその運命を受け入れるんじゃないでしょうか。イギリスかっこいい。
この記事筆者のように「イギリスはそれでいいのか?」と聞かれ「中立的にはなれない」と感傷的になるよりも、その方がずっとらしいんじゃないかと思います。


つまるところ、こうして二度目の『ルール・ブリタニア*1は終わったのだと。