誰も『第三の道』を提示できない

以前書いた日記の限りなく焼き直しに近いお話。


青森県知事選:原発推進派勝利「誰がやっても無くなんね」 - 毎日jp(毎日新聞)
ということで青森県知事は何というか勝負にならなかったそうで。まぁ青森だけが特別なのではなくて、どこでもそんなもんなのかなぁと思います。まさに彼らは原発無しではやっていけないのだから。
で、それを補助金中毒・依存症のように例えるのは微妙に間違っているんですよね。それじゃまるで以前はきちんとやっていけたかのような物言いに聞こえるから。実の所彼らは最初から「緩慢な死」である地方の衰退という現実に直面していて、その衰弱死を原発誘致によってなんとか延命しているに過ぎないのに。
その延命治療を辞めた所で、まぁ結局の所死に至るのは変わりがない。
こうした彼らの選択に対して「命より金の方が大事なのか」とか言った所で、だから悲しいくらいに意味がないんですよね。そりゃ誰だって命の方が大事なんだけれど、でももし金がなくなってもやっぱり結局はその地方は事実上死ぬしかないんだから。当たり前の話ですよね。


つまり、青森の有権者たちは「その地域で生きていくこと」という目的に対して、正しく解答を出している。
確かに原発を推進する事はそれなりの生命に関わる危険性リスクの元で生きていくことを意味しているんだけれども、しかし逆に『脱原発』してしまったら近い将来ほぼ確実にそこで生きていけなくなってしまうんだから。両者のリスクを較べたらどちらを選ぶかなんて決まっている。その意味で彼らは正しく「合理的」な振る舞いをしていると言えると思うんです。
少なくともこの『二択』においては、上記青森県知事選が証明しているように、ほとんど勝負にならないのだと。


ということで『脱原発』政策を本気で推進するつもりならば、二択では勝負にならないので、推進一辺倒でも反対一辺倒でもない『第三の道』を提示するしかないわけですよね。ほら、ちょうど去年の今頃に、うちの首相も所信表明演説で「第三の道」とか言ってましたし*1


まぁ『第三の道』なんていつだって元々存在しない空論に過ぎないのだ、と言ってしまえばその通りなんですけど。