思ったより現実的だったノルウェーさんちの家庭の事情

全体主義の子供たち」あるいは「ファシスズムの子供たち」なんて怒られてしまいそうな私たちのお話。


ノルウェー爆破・銃乱射の死者92人に、容疑者「必要な行動」| ワールド| Reuters
MHK魔王放送協会:海外スレ「ノルウェーのテロ犯人は最大21年の懲役?」「延長可能だけどノルウェーでは犯罪=治療する物」
http://alfalfalfa.com/archives/3964799.html
ということで一昨日の日記でも書きましたけど、個人的にもう犯人の動機とかにはあまり興味もなかったんですが、ノルウェーの最高刑って『懲役21年』なんですね。すごい。なんて超厳罰なんだニャー。
まぁ各所で見る限り、「刑期満了後に再審査があってそこで許可されなければ5年毎に延長される」らしいので恐らく死ぬまで塀の中ではあるんでしょうけど。それならぶっちゃけ最高刑(懲役21年)の意味ねぇじゃんって感じですよね。まぁ日本も結構似たようなことやってる*1のでノルウェーも日本も大して違いはないですよね。



さて置き本題。そんなノルウェーさんちの政府の反応が以下。
http://www.thenational.ae/news/worldwide/europe/norway-vows-to-fight-terror-with-more-democracy
『テロに対してはより強固な民主主義とより大きな寛容さで戦うと誓う』ですって。……やだかっこいい。

で、それがこうなると。
テロ、イスラム化から救うため…審理は非公開 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
上記に書いた禁錮21年のカラクリと合わせて、その勇ましい発言とは裏腹になんだかとっても現実的ではありますよね。いや、個人的には同意できるんです。そんなオチかよって感じではありますけど。
結局の所彼らは共同体の安定と維持存続の為に民主的ではない手続きを採ろうとしている。
まぁそれって日本にもあるような死刑制度を採用するのとあんまり違いはないんじゃないかなぁとも思うんですよね。死刑制度って言ってしまえば「共同体の維持存続」の為に個人の持つ生と死の最終決定権を剥奪する制度なわけで。まぁ確かに乱暴な話ではあるとは思います。その大義名分の下では『死刑』さえも許されると考えているわけだから。


でもノルウェーはそうではないんですよね。死刑のない彼らは如何なる理由があろうとも個人の持つ生と死の最終決定権を犯すことはできないと信じている*2。いやぁ素晴らしいです。

 同容疑者が事件後、公に姿を現したのは初めてだが、裁判が原則公開の同国で今回の審理は異例の非公開となった。最高刑禁錮21年を見直し、死刑を求める声も強まっており、ノルウェー第2次大戦後、最悪の惨事は同国の司法制度も揺さぶっている。

テロ、イスラム化から救うため…審理は非公開 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

しかしそんなノルウェーさんちでさえ、「共同体の安定と維持存続」という名目の下に『裁判が原則公開の同国で今回の審理は異例の非公開』化は許されると考えている。そして恐らく「5年毎の延長によって実質的な21年以上の禁錮刑」にもしようとしている。
いやぁ、まるでどこかで見た論理そのまんまですよね。もちろん僕もこうした現実的な対応には同意するところではありますので、別にそのことに関して云々するつもりはないんです。
つまるところ、私たちと彼らは同じ結論に至っている。「共同体の安定と維持存続」の為ならそれが許されると。もちろんその非公開化と死刑ではかなり程度の差があることは間違いない。両者には大きな隔たりがあると。


しかしそれって逆説的に程度の問題でしかないとも言えてしまうわけで。まぁその程度こそが重要だとも言えるんでしょうけど。
ともあれ、結論的にはノルウェーさんちも私たちも少なくとも「似たような顔」はしているんですよね。私たちはどちらにしても社会の安定と維持存続の為ならば(例外的に)多少の無茶も許されると考えている。
こうした現実を見ると、正義感溢れる人たちに「全体主義の子供たちだ!」なんて怒られてしまいそうです。

*1:死刑求刑したのに執行しなかったり。無期だったり無期じゃなかったり。

*2:ちなみに一般にキリスト教ではそうした『生と死の最終決定権』は神のものである、と考えられているわけです。故に自殺は禁止され、死刑廃止の一因ともなっている。だって自分の命は神さまのものなんだから、勝手に死ぬのも殺すのも許されないのだ、と。