彼らの優れた生存戦略

そしてそれを生んだのは『賢い』消費者たる私たちなのだ。というお話。


「異様な進化」遂げる日本の恋愛 AKBオタクが“搾取”されても片思いを続ける理由 (1/2) - ねとらぼ
若者の恋愛観について。に、見せかけて実の所は賛否両論様々なAKB商法について。

 ユルゲン・ハーバーマスっていう社会哲学者に言わせると、“システム”と“生活世界”は相容れない。愛というのは生活世界だけの問題で、システムというのは機械的に運営されていて、全然愛に満ちていない。こういう対立があるんですが、AKBの場合、この2つを握手会とか選挙っていう仕組みでくっつけてしまうことで、本気になりやすい環境がアーキテクチャとして作られている。

「異様な進化」遂げる日本の恋愛 AKBオタクが“搾取”されても片思いを続ける理由 (1/2) - ねとらぼ

なるほどなぁ。ハーバーマスさんのお話かー。まったく結びつきませんでした。
AKB48総選挙を宗教現象学から見る - maukitiの日記
ちなみに僕は以前の日記では、その信仰対象の持つ二重構造について宗教現象学から云々していました。『日常性』と『超越性』について。まぁその辺に関してはもう特に言うこともないのでそちらを参照してください。


さて置き以下本題。
上記引用先では「AKB」には異様に進化したアーキテクチャがある、なんて書いていますけど、現代におけるAKBの手法において真に優れているのはどう見てもその『恋愛』構造というよりは、金を落とさせる構造、の方ですよね。
もちろんそうした構造自体は古典的なやり方ではあります。実際AKBのような所謂アイドル商法自体は昔からあったわけで。しかしそれでも、結果として、こうしたアイドル・キャラクター商法が生き残ったということについては色々考えさせられるものがあるのではないでしょうか。
実際それとは別にあった、かつて隆盛を極めた消費行動――クルマやらケッコンやらギャンブルやらオンガクやらゲームやら、は次々と衰退しつつあるわけです。それらは人びとの「無駄遣いをやめよう」というある種冷静で合理的な思考(まぁマクロ的には自殺行為だとも言えるんですけどそれはさて置き)によって衰退し、しかしAKBの商法はそうした人びとの意識とは真逆に『生き残る』ことに成功している現状。いやぁ結果だけを見ればすごいことなんだと思います。
すべてのゲームを過去にしたもの - maukitiの日記
これと似た話として、ソーシャルゲームにおける他人の目から見てのあの途方もない無駄遣いとかがありますけど、それこそ両者の『構造』はAKB商法と似たような所にあると思うんですよね。一見途方もない無駄遣いに見えるようでいて、しかしこうして消費者たちが揃って財布の紐を締めていく中で、むしろ成果(売り上げ)を実現している。じゃあ一体なんで彼らは成功し、しかし他の人たちは失敗したのか?


これってある種のゼロサムゲームに近いんじゃないかと思うんですよね。勿論パイそのものは縮小しつつありながら、徐々に締められていく人びとのサイフは確かに競争そのものを激しくしてもいるんだろうけど、しかし相対的に勝者のあがりは大きくなっている。その意味で彼らは、真に価値のあるものを提供する創造者としてではなくて、正しく『プロデューサー』として優れているんだなぁと。まぁそれを騙しているとか、下流食いだとか、キャバクラ・選挙商法だとか、バッサリ切ることはできるんですけど。しかしそれでも震災後に盛んに言われたように「人びとに金を使わせなければ経済は回っていかない」わけで。
その点からすると、やっぱり彼らは金を使わせることに関して、とても優れた『演出家』なんじゃないかと。


だからやっぱりそれを批判する人たちが居ることも理解できます。だってソーシャルゲームやAKBのやり方にしても、真に優れているのはその商品価値そのものではなくて『金を落とさせる構造』であり『演出の手法』であるわけだから。
このお話で皮肉なのは、そうした演出家たちを生んだのは私たちの冷静で合理的な消費行動の抑制によって、という所だと思うんですよね。結果として彼らの存在を認めるような状況を作り上げてしまった私たち。進化論的な適者生存、という例がここにあるのかなぁと。
そんな鬼子たちを産み出したのは、『賢い』消費者たる私たちなのだ、と。