抗議デモ、独裁打倒者たちが夢のあと

人の夢って儚い。


モルシ前大統領初公判、進行拒絶で閉廷 エジプト 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでモルシさんの裁判は見事に大波乱で始まったそうで。でもまぁ予想された展開ではありますよね。結局のところ、現状の「同胞団対暫定政府」という対立構造において、仲介役なんて居ないのだから。国内にそうした人たちが居ない以上、彼らはどこまでいっても戦うしかない。そんな仲介者としての役割を担うべき最後の担保者たる「国際社会」の皆さんといえば、まぁご覧の有様でもあらせられますし。

 怒りをあらわに法廷に姿を現したモルシ前大統領は「私はムハンバド・モルシ、共和国大統領だ。この法廷は違法だ」と述べ、審理の進行を拒絶した。また、7月に軍が同前大統領を解任して実権を握ったことについて「これは軍事クーデターだ。クーデターの指導者こそ裁判にかけるべきだ。クーデターは反逆であり犯罪だ」と主張するなど、法廷は混乱した。裁判所は来年1月8日に改めて公判を行うことを決定し、閉廷した。

モルシ前大統領初公判、進行拒絶で閉廷 エジプト 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

ただまぁこうした構図が『革命』の後になって急に生まれたのかというと、やっぱりそうでもないわけで。つまり、元々こうした対立は存在し、しかしそれをこれまで強権で抑え込んでいた(あるいは上手く妥協させバランスを採っていた)独裁者が居なくなったことで表出するようになった、というだけのお話でもあるんですよね。
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この辺は以前からずっと書いてきたお話でもあります。自身の権力を維持する為に独裁者たちは「良くも悪くも」国内にある社会的紛争を抑制させることに専心する。それは単純に反体制派という弾圧に留まらなくて、民族や宗教対立だって同じなのです。もちろんそれは恣意的でまったく公正ではない押し付けられた『平和』ではありますが、しかし独裁者にとっての権力が万全であればあるほど、一般にはそんな『平和』は維持されていく。
そしてこうした構図が人類史上最もマクロな視点で起きていたのがあの『冷戦構造』だったりするわけで。ソ連にしろアメリカにしろ、最終戦争を恐れる彼らは同じ陣営の国々=諸勢力に「そこから一歩も動くな」と厳命し、皮肉にもそのおかげで戦争どころか政変までもが抑制されていた。




翻って現在こうして『革命』を経験した国々と、そして現在でも尚独裁体制を維持し続ける国々って、抱えている問題が結局同じ所に行き着いてのはまぁやっぱり愉快なお話だよなぁと。それはつまりアラブ世界における普遍的構図の一つとして。
つまり彼らは結局、イスラム教をより国政に影響力を強めようとする人びとと、一方でよりリベラルな民主制度を目指す人びととの争い、という点で。
それはやっぱり現在でも尚その体制を維持し続けるサウジアラビアでも構図は同じなわけで。しばしば彼らの「女性の権利の抑圧」などのやり方が批判されたりしますけども、しかし彼らの国内にはそれこそ世界で最も原理的とされるイスラム原理主義な皆さんの政治影響力があったりするわけで。故に彼らはそうした勢力を無碍にもできない、という面が多分にあったりするんですよね。それを無視すればまず間違いなくその不満が政権へと跳ね返ってくる。国内の世俗派と宗教勢力との争いをどうにかバランスを採ろうとする独裁政権たち。


独裁者が倒されようと、あるいは倒されまいと、やっていることは同じだったというオチ。そこを解決できない限り、彼らは前にも後ろにも進めないのだろうなぁと、端から見ていて無責任に考えてしまいます。
がんばれアラブ。