我々は皆どこか少しおかしい

別に100人殺しても英雄になれそうになかった人たち。


手投げ弾と銃乱射で5人死亡、100人超負傷 ベルギー 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
伊フィレンツェの市場で極右男が発砲、セネガル人露天商5人死傷 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
なんか欧州は色々大変なことになっていらっしゃるようで。まさに欧州情勢は複雑怪奇であります。銃こわい。
ともあれ、まぁこうした事件を見ると少し前のノルウェーの銃乱射の事件を思い出さずにはいられませんよね。ここで今回の二件と以前のノルウェーのブレイビクさんのそれを較べてみると興味深いのが、明らかに「あまり」殺していない前者二件の犯人は逮捕される前に自殺してしまったのに対して、69人も「大量に」殺したブライビクさんはあっさりと警察に投降した点にあると思うんです。
ノルウェー銃乱射容疑者は「妄想型統合失調症」、精神鑑定 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
そしてブレイビクさんは見事に「自殺しなかった故に」精神鑑定を受け、彼は妄想の世界に生きている、との鑑定結果から禁固刑ではなく精神科の治療施設への強制収容なる公算が高いそうです。
こうした構図から見ると、やっぱり前者の彼らはそれなりに罪の意識があったからこそ自殺したのかなぁと思ってしまうんですよね。もう何もかも終わりだと自暴自棄になるという時点で、彼らはそれなりにマトモだったと証明している。すぐに思い出せる例だと、あのコロンバイン高校の銃乱射でも、そしてバージニア工科大学での銃乱射でも、やっぱり犯人は自殺しているわけで。


じゃあ彼らの間に『狂気の差』は一体どれだけあったんでしょうね?
もちろん彼らには(おそらく)それぞれの理由があったのでしょう。結果、彼らは人を殺すまでの決意にそれぞれ至っている。そして一方の人たちは犯行後に自殺をし、もう一方の人たちは自殺をせずに逮捕され大方の予想通りに「頭おかしい」と判断されることになるのでした。この周囲が判定する狂気の度合いと、そして犯人自らが判定する狂気の度合い、このギャップを私たちはどう見ればいいのでしょう。
まさに昔から言われるように、それが半端な人ほど「自分は狂っている」と証言するのに対して、本当におかしい奴は「自分は狂っていない」と証言する、という構図。そしてこうして重大事件が起きたとき、前者な犯人たちは自殺をして、そして後者の犯人たちは見事に『ホンモノ』として事件から生還する。それこそ本人自己申告の通りに「自分は狂っておらず、正しいことをした」と。そんな真の狂人たちと、狂人の一歩手前で踏みとどまる人たちと、あるいは狂人のフリをする人たちについて、私たち一体どう対応すればいいんでしょうね。


まぁ現実社会もそうした要素がないとは言い切ればいのがアレな話ではあります。皆さんはいかがお考えでしょうか?