全世界の教師たる北朝鮮

「あぁはなりたくないなぁ」という反面教師のお話について。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33541
ということで堰を切ったかのようにおさらい的に色々言われている北朝鮮さんちのお話。まぁ特に私たち日本としては、あまりにも近すぎて他人事ではいられないお話ではありますよね。

総書記が世界の注目を集めたのは、ウラン濃縮計画を秘密裏に進めているとの疑惑が持ち上がったことを受け、北朝鮮核拡散防止条約(NPT)から脱退した時のことだった。この問題は核の危機に発展し、2006年10月には核実験が実行された。
技術的な意味では失敗だったものの、この実験によってこのぼろぼろの国は核保有国の仲間入りを果たした。また、米国との外交交渉も促進された。約束をしてはこれを破り、より大きな譲歩を引き出し、最後にやっと当初合意にあった自分の約束を果たすというのが金総書記のやり方だった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33541

まぁその(既に目的と手段が入れ替わっている)核兵器開発にしろ、あるいは(一体何をどう計画したらそうなるのかよく解らない)計画経済にしても、少なくとも端から見て彼らの行動は「クレイジー」の一言に尽きるわけです。結局のところ、私たちはそんな彼のことを死ぬまで理解できなかったし、そしてそんな彼の行動原理は文字通り「死ぬまで」変わることはなかったのでした。


しかしそんな彼のクレイジーな振る舞いは、まぁそれでも確かに世界に向けての反面教師的なアピールにはなっていたと思うんですよね。
その国力に見合わない形で「核兵器を持つ」ということを現実にやったら一体どうなってしまうのか? の回答としての「北朝鮮のようになってしまう」という格好の反面教師を提供してもいたんじゃないかなぁと。彼らがあそこまで全てを掛けてやってきたことが、結果として、それを脅しにして援助を引き出すことにしかなっていない現状。国際的な信頼や国内的な財源はほとんど全てを注ぎ込んで得られたもの。本当に彼らに必要だったのが『核兵器』だったとはとても思えませんよね。インドやパキスタンのような新興の核保持国家とは真逆にある「核兵器を持とうとして失敗した国家」の末路。
そりゃフセインさんにしろカダフィさんにしろ、悪の独裁者といった人たちでさえも、こりゃ無理だと諦めてしまうのも無理もありません。もちろんその存在意義は厳然として存在しているものの、しかしその為に失うものが大きすぎる。その意味では広島や長崎を教訓とした『人類の叡智』とやらも、そこまで捨てたもんじゃないかなぁと少し思います。
そして彼らの政治体制にしても、かつて数十年以上昔のSF作家たちがこぞって危惧したような「ビッグブラザー」なディストピア社会は見事にそんな反面教師たる北朝鮮で、それこそ例外的に、実現されている。


西側の国々にしても当然の帰結として、そして皮肉なことに東側の国々においてさえも、「あぁはなりたくない」と思わせるような国家。やっぱり北朝鮮はそれなりに、世界全体においてポジティブな影響をそれなりにもたらしていた、のではないでしょうか。まさに彼らの『主体思想』は世界に革命的な影響を与えているのでした。素晴らしい影響力ですよね。まぁ北朝鮮国民にとってみれば災難以外の何物でもないわけですけど。