完璧主義者たちの悲哀

よくある日本人論っぽくなってしまって反省。



http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120211/wec12021118000001-n1.htm
『ルンバ』が作れない理由ですって。
僕としてはこのお話を見たときに真っ先に思い出したのが、以前あった「iPodを作れなかった日本メーカー」のお話でした。

だから、ハードウェア担当たちは、急に出た初代iPodの発表を聞いて、びっくりした。「ハードディスクなんて、不安定なモノでどうやって、データを消えないようにしとるんや?加速度センサーで衝撃や落下を事前に検出してシークをはずしたりしとるんか?その割には安すぎるし、それでデータ保護も完璧にはでけへんやろし...。」

iPodの発売日、ハードウェア担当たちは、恐る恐るiPodを分解した。Appleはどんな衝撃対策やデータ保護対策をしているのだろう...。どんな未知のテクノロジーを使ってユーザーのデータを保護しているのだろうか?

結果は...iPodの中に裸のハードディスクがゴロンと入ってるだけだった。加速度センサー?そんなものは微塵も無かった。衝撃対策は、ゴムみたいな何かを挟んでる以外は何もしてなかった。「データは消えても知らん」という設計思想だった。実際、iPodはデータが飛ぶことがあった。

iTuneも著作権保護もぐだぐだで、国内メーカーがこぞって進めていた「自称」世界標準の著作権保護規格であったSDMI規格も100%無視されていた。CDに焼いたり複数のiPodにコピーできたりなんでもアリすぎて、これもびっくりした。

ハードウェア担当が言った。

「こんなん、ウチではだされへんがな。」

iPodが売れるに従い、我々がこだわっていたことは一体なんだったのかと思うようになった。

http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/03/lgipod-3aec.html

なんというか悲しいお話ですよね。で、今回のルンバのそれも似たような所にあるのかなぁと。
細かい所まで気にし過ぎた日本人と、あっさり切り捨てた人たち。こうした点から敢えて日本の性質を挙げるとしたら、別に開発力不足だとかオリジナリティのような頭の柔らかさの問題ではなくて、ただそうした「切り捨てができない」所じゃないのかなぁと。そんな職人的な完璧主義はもちろん長所であると同時に、しかし同時にまたやはり短所でもあるのだと。
原発の事故以来しばしば『安全神話』なんてモノが批判されるようになりましたけど、それだって同じだと思うんですよね。それは「ある程度のリスク」さえ許容できなかった私たちだからこそ生まれてしまったのだと。あれだって別に積極的に騙そうとかそういう所から生まれたというよりは、むしろ「完全に安心させようとして」良かれと思って生まれたわけだし。まぁ結果としては見事にまったく逆の効果をもたらしてしまったというオチ。絶対安全なんて――当然のことながら――あるはずがなかったのでした。そしてやっぱりその取り繕われた完全無欠さが素晴らしいという訳でも勿論なかったのだと、そうしたことを私たちは学習……別にできてませんね。
ということで今後もそうした傾向は続くんじゃないでしょうか。けどまぁグローバリズムってそういうモノなわけですし。均一化であると同時に、差異化でもあるのだと。自分たちにはできないと諦めた上で、別の場所で勝負するしかないのでしょう。まぁそうして「(日本独自の)サービス・商品で勝負しよう!」と声を上げている割に、こうして「日本人にはできなかったモノ」を数えてしまう辺りさもありなんといった感じです。
完璧主義であるからこそ余計に欠点を見逃せない人たち。いやぁザ・自縄自縛で、救えないお話ですよね。


ともあれ、勿論こうした人が全てだとは言えませんけど、しかし少なくとも多数派ではあるのかなぁと。完璧主義で切り捨てることができない私たち。僕にとっても耳が痛いお話です。
みなさんはいかがお考えでしょうか?