遅すぎて早すぎたユーロ

政治統合を促すには遅すぎ、しかし危機が起こってしまうには早すぎた、そんな悲しいユーロのお話。



ユーロ圏諸国、ギリシャ第2次支援に向けて最終調整 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでまたもやギリシャは最後の最後で粘り勝ちしそうです。もういい加減ここまでくると悲劇も喜劇になってしまいますよね。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34581
そしてこうした構図についてブリティッシュジョークさながらの記事がFTにも掲載されてしまうのでした。イギリスさんの他人事感がハンパない。クラスで「男子、真面目にやんなよ!」と委員長に怒られるサボる男子の構図。

ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相が追加支援の条件として、ギリシャは4月の選挙を延期すべきだと提案した時、筆者には、このゲームがもうすぐ終わることが分かった。我々は、支援の成功と民主主義がもう両立しないところに来てしまったのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34581

まぁそれは十一月にギリシャ国民投票が黙殺された時点で既に決定的でしたよね? この著者は言うのが三ヶ月遅い気がします。ていうかどう見てもあのバカみたいなゼネスト祭りを見ていれば、ギリシャの少なくない数の人がそう思っているのは間違いないですよね。まさにだからこそ、ギリシャでの国民投票は「そんな時間はない」と半ば公然と圧力を受けた結果潰されてしまったわけだし。実際その頃から潰した側の彼らは「民主主義的には正しいが」とエクスキューズしていたわけで。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34611
こちらも以前の日記でも少し触れましたけど、その意味では次の焦点となるのはフランス選挙の行方なのかなぁと。今のユーロにおける『ギリシャ対残り全員』という身も蓋もない構図になっているのはやっぱり、フランスとドイツ首脳のメルコジと揶揄されるまでの蜜月状態こそがそれを導いているわけだし。もしこのままサルコジさんが落選したり、あるいは(ギリシャでは黙殺された)フランスでの国民投票が反対多数なんかになってしまったら、いよいよそれこそが欧州連合そのものの後退へと傾いてしまうのかなぁと思ったりします。



しかしまぁこうしたユーロ圏各国首脳にあったトップ同士の連帯が、しかし国民世論という足元から崩される構図というのは、それこそメッテルニヒさんの『ウィーン体制』の終わりを彷彿とさせて皮肉すぎる歴史の流れを感じて個人的にはロマンティックが止まらない話ではあるんですよね。ヨーロッパの平和は、またもや同じ失敗を繰り返してしまうのかと。
権力者の権力者による権力者のための平和 - maukitiの日記
結局あの時の平和にしても、各国首脳の個人的な連携がそれぞれの退任によって失われ、1848年革命による政情不安はそれぞれの国家は内政優先にせざるをえなくなり、そして最後の頼みの綱であった『同じヨーロッパ人』という意識は不完全なままだった、という状況によって終わりを迎えてしまったわけです。最近どこかで見た風景とそっくりですよね。

 こうした状況は、現在のユーロ圏の救済戦略の政治的な脆さを浮き彫りにしている。ここではひとまず経済的な議論を脇に置いて、政治について考えてみよう。救済策の規模を拡大すべきだと訴える人は、政府間の連帯意識が尽きかけていることを思い出すべきだ。救済金が国境を越える前に、連帯感がほぼ消滅してしまったのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34581

そしてそもそも論でいけば、その失敗を繰り返さない為にヨーロッパ人という連帯感を醸成する為の装置の一つが本来の『ユーロ通貨』の役割であったわけです。ヨーロッパに住む人々が持つ心理的な連帯感や、あるいは欧州連合への所属意識という「自分はヨーロッパ人の一員である」と意識させるための装置であり、つまり象徴でありました。
ところがかつての失敗を繰り返さないという決意の元に創造された連帯感を育む為のユーロ通貨が、しかしまったく逆に危機の引き金になってしまった。連帯意識を生み出す前に経済危機を生み出してしまったユーロ。こんなはずではなかったのに。


かくして見事にかつての「古いヨーロッパの平和」と同じような道を辿りつつある「新しいヨーロッパの平和」であるのでした。いやぁ悲しいお話です。