アメリカ版『ヘブンズコマンド』の終わり

現実的なパワーの衰退についてもそうなんだけど、やっぱりその熱意も失われつつあるのも同じくらい問題なのかなぁと。


大英帝国の終焉とアメリカ帝国の終わり : 地政学を英国で学んだ
なかなか興味深いお話であります。世界帝国のコストと能力の限界という壁にぶつかる、現代のアメリカとかつての大英帝国の類似性について。

●冷戦期を通じてアメリカは自国のことを歴史上に見られなかった「自由世界のリーダー」という道徳面での大胆な意識を持っており、直接的な統治ではなく、同盟国に軍事力をたより、社会・経済面で支援をするようなことを行っていた。

アメリカがイラクアフガニスタンリビアのように、軍事的に他国を直接統治したのはここ10年間だけだ。

●もちろん「世界の警察官」というのは「帝国」でなければ務まらないものだが、アメリカ国民自身はこれをあまり認めようとはしていない。アメリカ人の心の中には、「自分たちはイギリスのような帝国ではない」という嫌悪感があるのだ。

●ところがネオコンたちはアメリカに「イギリスのような帝国主義を実行しろ!」と言い続けてきたのである。

大英帝国の終焉とアメリカ帝国の終わり : 地政学を英国で学んだ

個人的にこのお話で一番面白いのはアメリカが、イギリス的な世界帝国を忌避していながら、しかし実の所そんな『道徳面での大胆な意識』ってヴィクトリア時代のイギリスの世界帝国でも似たようなことが言われていた、という辺りであります。
つまり、現代のアメリカと同様にあの19世紀初頭のイギリスにしても、元々ナポレオン的な『帝国』という概念に少なからず不信を抱いていたわけです。その言葉は独裁制や侵略を連想させるし、そして自由貿易を信奉しレッセフェール真っ只中の彼らにとっても、そんな『帝国』というのはうさんくさい概念でもあったのでした。「帝国や植民地などやっても儲からないではないか」なんて。
しかしそんなイギリス内部の一部の人たちは、『奴隷解放』という人道的な目標を世界に先駆けて達成してしまうことで、ある種の天命に目覚めてしまうのです。
我々ならば人類全てを啓蒙しうる道徳的権威(=帝国)を樹立することも可能なのではないだろうか、と。かくしてその一部の人たち――キリスト教の福音伝道派――は国内だけでなく全世界を視野に入れた社会改革をもその射程に入れてしまい、イギリスの権威によってそれを実現しようと走り始めてしまうのです。
勿論そうした福音主義的帝国という初期の理念は徐々に現実的な利害に押し流されていくものの、しかしこうした初期の理想主義は最後までその根底にあったのでした。


こうしたかつての大英帝国と、そして『善意による覇権』を目指していたアメリカって、上記リンク先で述べられているアメリカ人の嫌悪感とは裏腹に実はものすごく近い所にあったんじゃないかと思うんですよね。
現実的な覇権と、しかしその根底に少なからず存在していたある種の道徳伝道や理想主義。冷戦を見事に勝つことによって勘違いしてしまったネオコンの人たちと、そして奴隷解放を成し遂げて勘違いしてしまった福音伝道派の人たち。その意味でネオコンな人たちが「イギリスのような帝国主義を実行しろ!」と叫ぶのも、構図としては大英帝国福音主義派の人たちと似たようなポジションにあったんじゃないでしょうか。しかしまぁそんなイギリスの大目標の一つであった『奴隷解放』は様々な苦難を乗り越えてそれなりに結実したわけです。まぁそれ以外の目標(自由貿易や近代化など)については……略。
それと同様にアメリカさんちは――それこそネオコンな方々が主張するような――己の天命と確信していたはずの『民主主義の普及』という目的の達成にそれなりには成功したものの、しかしイラクアフガニスタンで見事に絶望しつつあり、故に世界帝国への熱意の根底にあったものまでが失われつつあるのかなぁと。民主主義を世界に広めるのってやっぱ無理かもしれない、と(ようやく)気付いたアメリカさんち。
かくしてオバマさんの「アメリカは、世界の抑圧が行われている場所の全てに介入できるというわけではない」なんて言ってしまう状況に至ることになってしまったんじゃないかと。