法律が提供する素晴らしき『法の下の平等』という概念は、貧乏人に対してだけでなく金持ちに対しても同様に、安価で危険なユッケの提供や、安価で危険な電力の提供や、そして安価で危険な高速バスの利用を禁止している

昨日の『全て遠き理想郷』だったもの - maukitiの日記の追記的なお話。
これを書いててなんとなく思い出した、アナトール・フランスさんのそんな冷笑的なお言葉*1であります。勿論この本筋とは微妙にズレた箴言ではあるんですけど、しかしそれを敢えて借りるとタイトルのような言葉に落ち着くのかなぁと。
普段は「格差はけしからん!」と言っておきながら、見事に財産所有者たちに微笑もうとしている昨今の社会の雰囲気について。声なき利用者たちと、「意識の高い」糾弾者たちの乖離。こうした声があんまり大きなものにならないのは、前回の日記でも指摘した通り、まぁそういう理由なんだろうなぁと。


勿論そうした規制をすることによって本来の利用者が守られるならば、当然それはそれで素晴らしいんです。しかしユッケのそれや、ほぼ必然の結果として上がる電気料金や、そしてこれから高速バスの将来のことを考えると、まぁあんまり楽観的にはなれないよなぁと。それこそ規制をしたら真っ当な業者が居なくなっちゃったり。元から乗らない人にとっては大した問題ではないのかもしれませんけど。
一体彼らの望む「規制」って誰のためのものなんでしょうね?

*1:「法律の荘厳なる平等は、貧乏人に対してと同様、金持ちに対しても、橋の下で寝ること、通りで物乞いをすること、パンを盗むことを禁じている」