話し合いを拒否する勇気

あるいは、「話せばわかる!」に対して「問答無用!」と言われた時の犬養さんの気持ちについて。


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朝日新聞デジタル:竹島問題のICJ提訴、21日に韓国側へ提案 野田政権 - 政治
ICJ共同付託、拒否なら日本単独提訴 韓国に説明義務 - MSN産経ニュース
ということで竹島の問題について、数十年ぶりに国際司法裁判所に提訴することを決めたそうで。まぁ韓国さんとしては当然拒否するのでしょう。ICJとかマジ意味ない。
常日頃「話し合って解決しよう!」と頑張っている皆さんの限界というか何というか。いやぁ「話し合い」を拒否されたらもうどうしようもありませんよね。まぁ全ての問題でこうした均衡点に行き着くとは言えませんし、「話し合い」で解決出来ることも沢山あるのでしょうけども、しかし、悲しいことにそうならないことも一杯あるという極ふつうのオチ。
ちなみにここで「私たちがガマンすればそれでいいじゃないか」とすると、見事にサービス残業に従事する日本的労働者の風景に近いものが完成してしまうのでした。みんなでガマンすればとりあえずハッピーだ。まぁそれはそれでこの場は切り抜けられるんですけど根本的には何も解決していませんよね。まさか世界中の全てのプレイヤーに「お前がガマンしてサビ残すればいい」なんてとても言えませんし。



ともあれ、まぁこうした韓国の振る舞いに対してお怒りになる方も少なくないとは思いますけども、しかし個人的には「話し合いを公然と拒否する」あるいは「国際ルールなど知ったこっちゃない」という韓国のやり方はそれなりに正しいとも思うんですよね。
だって主権国家たる我々には、自己の不利益となるような条約や話し合いにはいつでも席を蹴る権利、があるわけで。もちろん失うものがないとは言いませんけども、しかし本当にいやだったら無視すればいいんですよ。
神もリヴァイアサンも世界政府もいない世界に生きる私たちは、究極的に誰もが公平だからこそ、つまりそこは常に無政府状態なのです。絶対的な強制力などどこにもない。こうした国際社会の無政府状態という構図に関して悲しくなるのが、だったら絶対に「話し合い」の席に着かなければいけないようにすればいい、なんてするとむしろ結果的に逃げ道を失った国は……以下略。もし、こうした調停のテーブルに強制力なんて存在してしまったら、よりロクでもない世界になってしまうのはかなり予想できますよね。絶対的な強制力などどこにもない、からこそ平和な世界にギリギリ踏みとどまっていられる。


ちなみに韓国が拒否しているのは建前としては「国際司法裁判所は日本に不当に有利にできているので信用ならない」や「国際司法裁判所の合法性に疑いがある」といった理由であります。
その是非については双方色々あるのかもしれませんが、しかし現実にもしそうした言葉で拒否された時、私たちには何も言い返すことができないんですよね。だって『完全無欠で万人に公平なルール』なんてものが原理的に存在しない以上、幾らでも言い掛かりはつけられるんだから。そのルールは常に誰かの為のものであるから。国連の決議でさえ、しばしば、「欧米の陰謀だ!」なんて燃え上がってしまう人は少なくないわけで。そして結構それは正しかったりもする。
「そこは議論するのに公平な場ではない」という無敵の言葉に対抗できない私たち。
しかしそれは韓国をはじめ、多かれ少なかれ、アメリカでも中国でもロシアでもヨーロッパでもどこでもやっていることなんです。「そのルールは公平に作られたものではないから拒否する」と。


この辺はよく言われていますけど、韓国にあって、しかし私たち日本に少し欠けている思考ではないのかなぁと少し思ったりします。今回の韓国の拒否に対して、日本でお怒りになってしまう人が多い、という点でそれを証明してもいますよね。むしろそんな対話の拒否という構図は実はそれなりによく見かける話ではあるはずなのに。かくして無数の問題が後世へと棚上げされていく。まぁこの辺は1945年以前の態度の反省と、素晴らしき日本の平和教育の賜物だとは思いますけど。
勿論常にそうあれとは言えませんし、そうやって出来るだけ「話し合い」で解決しようとする姿勢も素晴らしいとは思います。しかしそうしたオプションがあるということを相手に解らせなければ交渉は常に不利にもなってしまうわけで。ルールを無視し新しく作ろうとする人たちと、延々と縛られてしまう人たち。
その意味で、今回の韓国の「話し合いを拒否する勇気」って、少しだけ日本も見習うべき所なのかなぁと思ったりします。