私はサッチャーになりたい

なまじそんな成功体験があるせいで転んでしまう人たち。


http://riabou.net/archives/9
そういえば(アクセス数的な意味で)当日記が大変お世話になっていて足を向けて寝られない『リアリズムと防衛を学ぶ』さんが移転なさったそうで。はてなヤバイ。


ともあれ、折角なので最新記事についてお蔵入りしてたボツネタを引っ張り出してみます。

30年前のアルゼンチンでは、国民の不満から目を逸らし、不安定な自分の政権に求心力をもたらすため、歴史的ないさかいが掘り起こされました。
国際紛争において、世論はしばしば無力であり、時にはその頑迷さが、うかつなリーダーを誘惑します。
リーダーが人々の情熱に訴え、安易に大見得をきったとき、拍手喝采のなかで、破局が約束されました。

「心配することはないよ。負けるはずは無いのだからな」と、大統領は外務当局に語ったそうです。
戦争が始まったのはその1ヶ月後。敗戦の責任をとって大統領が退陣したのは、3ヶ月後のことでした。

http://riabou.net/archives/9

ということでアルゼンチンさんちの誤算。いやぁ悲しいお話ではあります。戦争をするには必ず相手が居るわけで。一人じゃタンゴは踊れないのです。味方も敵も思い通りになると確信してしまった人たちの悲劇。


しかしその反対側にはサッチャーさんの成功体験が燦然と輝いているわけですよね。アルゼンチンの挑戦を受けた当時、誰もがそのリスクの大きさを恐れながら、しかしサッチャーさんだけは『内閣における唯一の男』として強硬策を採ったのでした。

    • 「私は容認しない。宥和政策は信じていない。自国民が独裁政権に踏みにじられるのを許さない。それでも、すべての要因をコンピューターに入力すれば、一万三千キロの距離があり、冬であり、補給の問題があり、制空範囲から六百キロも離れており、空母は二隻しかなく、一隻が撃沈された場合の損害ははかりしれず、将兵が艦船に乗り込んでから上陸作戦までに三週間から四週間かかるといった要因を入力すれば、コンピューターは作戦を行うなという答えを出すだろう。しかしイギリス国民には信念がある」

結果としてイギリスは勝利し、それまで史上最低の支持率だったサッチャー政権は息を吹き返すどころか、歴代政権の中でも最も強力なリーダーシップを発揮することが可能となったわけです。紛争の直前までには敵だけでなく味方からも批判されていた、彼女の政治家としての性質「傲慢さ」や「敵対姿勢」や「無神経さ」という欠点は、「不屈の意思」や「断固たる態度」や「率直さ」という称賛に裏返ったのです。紛争の勝利は翌年の総選挙の大勝利をももたらし、それまではものすごい大反発によって停滞していたイギリス経済改革を断行するだけの政治的資源をサッチャー首相は獲得した。
フォークランド紛争がなければサッチャリズムは生まれなかった、というのは決して言い過ぎではないでしょう。
かくして「英雄になって歴史に名を残そう」としたアルゼンチンのガルチエリさんでしたが、見事にそれ自体は達成されたのです――まぁとても悲しいことにその『英雄』というポジションは彼自身ではなくその戦争相手のものだったわけですけど。これ以上ないほど見事な噛ませ犬です。


結局、フォークランド紛争はやっぱりそうしたガルチエリさんの「大衆の熱狂を見誤った愚行」というのと同時また、サッチャーさんの成功体験をも証明しているんだろうなぁと。むしろそんな失敗の歴史というだけだったら話は簡単だったのでしょう。バカな歴史だな、と笑ってだけいれば済んだのだから。
しかし、その歴史を前にして少なくない人々は「自分はガルチエリではなく、サッチャーである」なんて無邪気に確信してしまう。
(演出された)挑戦に対して見事に打ち破って歴史に名を残して見せようではないか、なんて。
そうしたサッチャーさんの成功体験による誘惑だけでなく、更には「宥和政策の失敗」というのはチェンバレンさんのミュンヘン会談を頂点にして最早それは『神話』としての属性を持ちつつあるわけで。こうした中で宥和政策を採ろうとすることは「挑戦を受けた側の国」として今後益々難しくなっていくのだろうなぁと思ったりします。どちらか一方だけというのではなくて、成功体験の誘惑と宥和政策失敗への恐怖、という両輪によって。そしてやっぱりそれは日本も例外ではないのでしょう。




さて置き、身も蓋もない言い方をするとこうしてガルチエリさんとサッチャーさんの明暗を分けたのは、ぶっちゃけ「戦争に勝ったか負けたか」でしかないだろう、というのもかなり事実ではあるので結局そういうお話にしてしまうと、あまりにもあんまりなので禁句ということで一つ。