ヨーロッパの南北を分かつ政治的『恩顧主義』の有無

言いたい事が言い合えない程度の仲、な人たち。


ユーロ圏「南北分断」に危機感、ギリシャ支援問題で 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでヨーロッパの南北分断について。まぁネタとしては今更感ではありますしうちの日記でも散々書いてきたお話ですけども、しかし評論ではなく、こうしてユーロ当事者たちによる共同声明のニュースのそれとして取り上げられてしまうのはやっぱりもう一段危機が進行してしまったことの証左でもあるのかなぁと。


ともあれ、以前の日記でも少し触れましたが、こうした「ヨーロッパ内の分裂」という議論においてしばしば言われるのがウェーバー先生に代表されるような「勤勉と規律のプロテスタントと、怠惰と浪費のカトリック」といった構図が根強いわけであります。
以前からこうしたお話を見ていて個人的にはあまり賛成出来ないところでもんにょりしていましたけど、先日の読売新聞の『地球を読む』という評論の中でフランシス・フクヤマ先生が面白いことを仰っていました。彼は現状の欧州の分裂を、宗教を背景とした文化的な差異ではなく、政治的な「恩顧主義」にその原因があると述べています。そうした政治的恩顧主義の有無こそが、欧州を二つに分けている要因である、と。以下一部引用。

恩顧主義は、政党が政府の役職など公共財を、支持者に報いる為の手段として用いる時に現れる。政治家は、政治綱領や政策ではなく、職や商売上の便宜を提供するのである。
ドイツ、北欧諸国、英国、オランダは、恩顧主義的な政党に支配された事が全くない。だが、イタリアやギリシャ、スペイン、オーストリアでは、それが続いてきた。その理由は歴史に深く根ざしている。ドイツやフランス、スウェーデンは、長く軍事増強を競った後に民主主義国となり、近代的な能力本位の官僚機構の創設に成功した。
対照的に、イタリア、ギリシャ、一部のEU諸国では、官僚機構が選挙で選ばれた政治家に利用されてきた。大衆動員のために与える職を必要としたからである。オスマン帝国の一部だったギリシャは、ドイツの前身であるプロセイン型の強力な国家を形成した経験が全くない。政党は血縁、地縁関係を利用して支持者を集め、そのやり方は1974年に民主主義に復帰した後も続いたのである。

官僚機構が「民主主義以前から」政治から独立して確固たる地位を築いていた国(その多くが熾烈な軍事競争の結果として)ほど、民主主義政治が近代国家の屋台骨であり官僚システムに悪影響を与える「恩顧主義」が抑止される。そしてつまり、そしてその差こそが南北問題の根幹にあるのではないか、と。
個人的にはなるほどと頷いてしまうお話であります。少なくとも「旧教対新教」のそれよりは解りやすいかなぁと。
この辺は、歴史の皮肉としてよくある「戦争が人類を進歩させた」ということの一例に数えることもできるかもしれません。彼らはまさに(軍事)競争によってこそその限られたリソース出来るだけ効率化しようとした帰結として官僚制度を発達させていったわけだから。近代国家への到達要因の一つでもある、近代的な能力本位の官僚制度の創設。その到達時期こそが両者の明暗を分けていると。


こうした歴史が結果として、現代のヨーロッパの間に有権者たちの「政治に期待するもの」という根本的な意識な違いを生み出している。恩顧主義などとんでもない腐敗だと非難する人たちと、それが当たり前だと考える人たち。『政治』に求めるものがそもそも違う人たち。
まぁどちらも一見同じ民主主義政治には見えるところがめんどくさいお話ですよね。ただ投票の見返りに求めるものが違うだけ。
この両者の争いがそこまで表面的にならずに――そしてだからこそイマイチ危機感があるように見えずに喜劇の様相を呈してしまうのは、そうした所にまで直接に踏み込む事ができないからなんじゃないかと思います。「お前らの政治家を選ぶ基準は間違っている」なんて言えるはずがない。そんなあからさまな内政干渉を避けようとするその素晴らしき良識のせいで、それぞれの有権者にではなくワンクッション置いて政治家へと向かうことになり、彼らのその争いはプロレスみたいになってしまう。逆説的に、彼らのその遠慮こそが、現状の欧州連合の前途多難さを証明してもいるわけですけど。そこに口を出さずに財政同盟、ひいては政治同盟なんて出来るはずがないのに。


(ドイツのような国にとっては腐敗しているようにしか見えない)恩顧主義をやめろと言いたいけど言えない人たち。そしてそんな遠慮こそが、実のところユーロ内の彼らそれぞれの心的距離を示しているのでしょう。自分たちは皆違う国なのだからそこまでして彼らを救う義務はないし、そして自分たちは皆違う国なのだから一から十まで彼らの指図を受ける筋合いはない。
その意味で、彼らは救う側も救われる側も、実は同じ場所に立っているのかなぁと。自分たちは皆違う国なのだから、と。今回一連のユーロ危機によって、むしろより強調されてしまった欧州連合の一体性のなさについて。
がんばれユーロ。