政治にマーケティング戦略を持ち込むことの是非

果たして世論調査は国民の声なのか? という議論について。


http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1323
なるほどなぁと。多分に今更ですけども、以下よくあるジレンマとして語られるお話。

ちょっと前のニュース、安倍晋三自民党総裁が、「憲法改正を次の総選挙の争点にしたいという」意向を表明したことについて。

個人的にはあれは大失敗なんじゃないかと思う。よしんばそれが専門家から見て一番大事なことであったのだとしても、専門家がサービスの対象にしている「素人」が困っているであろう目先の問題を無視すれば、どれだけの技量を持った専門家であっても、支持を勝ち取るのは難しい。

風邪の症状で患者さんが外来を受診して、たとえば何かの成り行きで採血を行ったら糖尿病が見つかって、「風邪なんてどうでもいい。あなたの問題は糖尿病だ」とという態度になってしまう同業者はけっこう多い。ウィルス性の風邪に比べれば、糖尿病のほうが医学的には大きな問題で、こうした態度は決して間違ってはいないのだけれど、これをやった主治医はたぶん、高い確率で患者さんからの信頼を失ってしまう。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1323

結局のところ、政治家の皆さんは「先ず」選挙に勝たなければタダの人になってしまうわけで、その意味で上記のお話は正しいのでしょう。しかし、じゃあ実際に選挙に勝てさえすればそれでいいのか? ――と聞かれると多くの人は返答に困ってしまうんじゃないでしょうか。
まぁもちろんそうした――本来であれば政治家が真っ先に語るべき――未来のビジョンについては「既に解っているから、いいからとりあえず選挙に勝てる方法を採ってくれ」という言い方もできるかもしれませんが、しかしそれを許してただ「有権者が聞きたことだけを喋ればいい」となってしまうとそれは一歩間違えると危険な所に行きかねない。そう解っちゃいるけどやめられない。だって選挙に勝てなければ何にもならなんだから。
この辺は上記リンク先で語られている医師と患者という関係よりも更に政治にとっては、手段における最適戦略と、(本来の)目的における最適戦略が、それぞれ乖離してしまうことによる最終的なダメージは大きいのだと思います。そりゃ国家としての長期戦略もクソもありませんよね。


といってもまぁこうしたお話は、日本だけじゃなく先進民主主義国家では大抵抱えるジレンマでもあるんですよね。ポピュリズムとは微妙に違う何か。
最近のアメリカ大統領選挙を見ていても解りますけども、彼らがたどり着いている様々な世論調査を使って科学的なデータマイニングを応用して導き出される選挙戦略というのは、まぁ結果として「正解故に」同じような所に行き着いてしまうわけで。彼らは選挙に勝つための当然の帰結として、浮遊層を獲得する為に最適な戦略を採ろうとする。かくして彼らはどちらも似たようなことを――本心は別として――口走ることになるのです。
人びとが聞きたがっていることを喋る政治家こそが選挙で勝つというのは、是非はともかく、やっぱり概ね事実でもあります。


その意味では安倍さんは「古い政治家」だと言われているのはそれなりに的を射たお話なんでしょう。彼は現在の主流でもある、国民が「ただ聞きたいこと」ではなくて、おそらく伝統的政治に則って誠実に『憲法改正』を通じての「未来のビジョン」を語ろうとしている。この辺は自民党支持者ほどむしろ安倍さんが「選挙が弱いから勘弁してくれ」なんて風に微妙に嫌われてしまう要因の一つではないかなぁと。
政治家同士が意見をぶつけ合うのではなくて、誰が一番有権者の聞きたいことを言うか合戦になっている現状。今回の件がそれに適っているのかといえばやっぱりそうではないのでしょう。
だから今回の安倍さんが微妙にズレているのは憲法改正云々じゃなくて「争点にしたい」という点なんだと思います。そしてつまり「専門家は素人から見える風景を想像できないといけない」という指摘であると。政治家が争点を決める時代は終わってしまった。身も蓋もなく言ってしまえば現状の選挙ってつまるところ、有権者たちが聞きたいことを如何に見つけ、そしてそれをあざと過ぎない程度に演出できるか、という勝負なんだから。


その手法としてはおそらく間違っていないのでしょうけども、ただやっぱり、それでも「政治をサービス業として完全に割り切ってしまうことの是非」は考えなくていけない問題なのかなぁと思ったりします。まぁどれだけ語ってみても現実が変わらない限り無意味だろうと言ってしまってはそれまででありますけど。システムがそうなっている以上どうしようもないお話。個人的には選挙改革がんばれとしか言えない。
みなさんはいかがお考えでしょうか?