どうして差がついたのか? ――主に環境の違い

慢心とか残虐性とかそういうレベルのお話じゃないよね、というお話。


世界で一番多くの人を殺した独裁者は誰? | ギズモード・ジャパン
ということでしばしばネタにされがちな「世界の独裁者による虐殺数ランキング」であります。

歴史に残る独裁者たちを虐殺人数順に並べたインフォグラフィック。まるで絵本のようなイラストですが、血の一滴が「100万人の死」を意味するという、なんとも恐ろしい内容です。ちなみに縦一列で22滴、つまり2,200万人が虐殺されています。

優勝したのは、もちろん毛沢東。その次にスターリンヒトラーと続いています。「彼らには地獄で永遠の苦痛を味あわせたい」と米ギズモードのヘススくんも憤慨中ですよ。

世界で一番多くの人を殺した独裁者は誰? | ギズモード・ジャパン

いやまぁ個人的にもやっぱり毛沢東さんは飛び抜けてアレだとは思いますけども、けどどう見ても勝負の命運を分けたのはそもそもの『環境』の違いですよね。基本的に外征でそれをやろうとすると外国の皆さんから殴ってでも止めさせられてしまうので大したスコアにはならず、「邪魔が入らない」内政でのやり過ぎこそが上位を狙う為の方程式であるわけです。つまり、普通に考えると単純に人口勝負になってしまう。毛沢東さんがダントツで勝った理由は、そもそも他の国にはそんなに殺せるほど人間がいないからだよね、というどうしようもなく身も蓋もないお話。大抵の国ではその人数は一国じゃまかない切れません。
20〜30年掛けたとはいえ、6600万人も殺そうとしたら、ふつうその前に国がまるごとなくなっちゃいますよ。
結局のところこのお話は「毛沢東スゲェ」というよりは「中国スゲェ」という方向になるんじゃないかと。そんだけ死んだのに人口ナンバーワンの座は揺るぎません。
有名な例としては、ヨーロッパを対象にした「両世界大戦による若者世代が根こそぎ死んでいった」ことの人口動態への悪影響が研究されていたりしますけど、ぶっちゃけそれよりもこの毛沢東さんによる大虐殺祭りの方が影響が(国内的には)小さいのだろうなぁとそのスケールの大きさを考えると何だか遠近感が狂ってしまいますよね。実際に当時の毛沢東さんと四人組にとって、その6600万という数は中国という国家にとって「許容できる痛み」であったのだろうし、そして実際にその通りだったと。


一歩進んだ研究としては、公平な視点(なんて言うと怒られてしまいそうですけど)から見た、単純な数ではない全体数における『虐殺率』を比較した方がより面白い結果になるんじゃないかなぁと少し思ったりします。もう既にされていそうな気がしますけど。まぁそれをやると民族浄化や宗教弾圧やらでフツーに100%辺りが並ぶことになりそうでより悲しい気持ちになってしまいそうですけど。
誰かがんばってください。